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あさひ学園便り

魚を与えるのでなく、釣り方を教えたい

発行:
第448号    2023年12月2日
著者:
あさひ学園校長 西 克夫

 私が中学校で数学の授業を行っていた時、解答を発表した生徒たちに「なぜそのような解答になったのか?」「ほかの方法でその答えを導くことはできないか?」など、必ず質問をしました。そんな私の投げかけに当初は戸惑う生徒が多く、中には「答があっているからいいじゃないですか」と反論する生徒もいました。しかし「数学は答を出した理由まで説明できなければ、理解したといえない」「もっと簡単な方法があるのではないか?」などと言って、なんとか考えを引き出そうとしました。そのうち、私が言わなくても、生徒同士で「なぜ・・・」「どうして・・・」「違うやり方で・・・」というやり取りが多くなり、そんな互いに学び合う姿を見ることが大きな喜びでし
た。


 先日、JBA主催のハイキングごみ拾いボランティアに参加した際、子どもがあさひ学園小学部に通う親子と一緒になりました。休憩時間に父親と私が日本の出身地についてなどの話をしていた時、その子は「○○って何のこと?」「なんで○○なの?」と頻繁に聞いていました。ハイキング中もいろいろなことを質問しているので、私はその父親に「お子さんがいろいろ質問するのはいいですね。勉強は『なぜ?』とか『どうして?』というのがあるからこそ、学ぶ意欲が湧いてくる。授業でもそんなふうに『問い』を持たせられるようしたいと改めて思いました」というと「家でも質問が多いのですが、最近は私もすぐに答えられないことがあるんです。だからインターネットな
どで調べてから答えることも・・・、そろそろ自分で調べさせようかとも思っています」と話していました。


 「一匹の魚を与えれば一日食べられるが、魚の釣り方を教えれば一生食べられる」ということわざがあります。これは、教育の本質を物語っていると言えます。

 

 「一匹の魚を与えれば一日食べられる」この言葉を教育にあてはめると、たとえば一つの問題を大人が解いてみせる姿と言えます。これでは子どもは受け身となり、なんとなくその問題だけはわかったような気になります。しかし、その問題の根底にある「考え方」がわかっていなければ、ほかの問題に応用できないし、しばらくすれば同じ問題でも解き方を忘れてしまうことがあります。

 

 「魚の釣り方を教えれば一生食べられる」 一方、こちらの言葉を教育にあてはめると、問題について子どもが自らの力で考え、解決する姿と言えます。こちらは子どもが主役であり、大人は子どもに寄り添い、子ども自身があれこれ考えたり、話し合ったり、行動したりすることを支援します。その結果、子どもは、初めて使いこなす(理解する)ことができるようになります。また、その子どもが獲得した技能や知識などは一生役に立つということを意味しています。 教育としてより重要なのはどちらなのか一目瞭然です。


 私たち大人が魚を与えすぎてしまい、お腹を空かした子どもが魚を捕るために自分で釣り方を編み出す機会を奪っていることはないでしょうか? またはお腹を空かしていないのに、たくさんの魚を与えて「さあ食べなさい」と言って、無理やり食べさせようとして魚嫌いにしてしまうことはないでしょうか? 


 子どもはちょっとしたヒントや環境で、自分で釣り方を学ぶことがあります。1 から10 まですべて教え込んでしまって、子どもが自分で考えたり工夫したり、新しい発見をする喜びを奪わないようにしたいものです。「別に魚じゃなくてもよくない? 私、野菜を育てる方法考えてみるね。」というような子どもが、このあさひ学園から一人でも多く出てきたら、更に素晴らしいと思います。

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