ここ数年、教育におけるデジタル化の勢いはすさまじく、特にコロナ禍をきっかけに大きな変化がみられます。例えば、今の日本の公立小中学校では、子ども一人ひとりに PC やタブレットが配布され、授業中のみならずいろいろな場面で、児童生徒が自由に使っています。また、アメリカの現地校も日本より前にすでにデジタル化が進み、当たり前のように ICT を活用した学習が展開されています。あさひ学園では授業でパソコンを使っているのは教員のみであり、今年度から小学部でやっと家庭学習の一つにデジタル教材を導入したというところです。
このように ICT 技術の進歩が著しい中、「人間の仕事の多くが AI に代替される社会はすぐそこに迫っている」と警鐘を鳴らしている本があります。それは、「AI に負けない子どもたちを育てる」(東洋経済新報社刊 新井紀子著)です。未来を生きる子どもたちを、「AI に負けない」ように育てるには、という問いに対して、「中学生レベルの教科書をきちんと読める基礎的な読解力を持ち、意味がわかって、柔軟な発想ができるかどうかにかかっている」と書かれています。ここでの「読める」とは、単に文字が読めるだけでなく、語彙を豊かにして「自然に読めること」として、そのためのリーディングスキルテスト(短い文書を読んで意味を理解する)なども紹介されています。
あさひ学園に通う子どもは、英語日本語両語でのリテラシーを学び、それを維持するために多大な努力をしていると思います。特に日本にいる時のように、「自然に日本語に触れる」機会が少ないことから、読解力をつけるのが難しく、語彙が日常会話レベルを超える段階になると苦戦を強いられ、「教科書を読めない」と認識される保護者の方も多いのではないでしょうか。
日本語が読めるためのリテラシーとは、まず「漢字が読める」か、そして内容語といわれる範囲の「語彙の量」だと考えられてきました。でも、最近の調査によって、語彙の量だけでなく、「が」と「は」の使い分け、「のとき」「ならば」などの条件を表す語、連用中止など、内容語でない「機能語」が正確に理解できるかで、リテラシーがかなり左右されることがわかってきたそうです。その機能語が発達するのは幼稚園から小学校中学年にかけてなので、その時期に海外で過ごす子どもに、そこの部分をどうサポートできるかがポイントになるかと思います。
また、日本国内では子どもにタブレットが配られたことで、何も書かずに選択肢を選んでクリックするだけの授業や、パワーポイントを見ながら穴埋めプリントを記入するといった、文を書くという活動が激減しているとのことです。よって、文を書く、読む、文の構造を理解する、自分でこういう意味かなと思いながら黒板を写すなどのノートに書く活動が見直されています。
何十万年もかけて発達してきた人の脳は、すべてデジタルで済ませるようにできてはおらず、体を動かし、手を使って学んでいくのではないでしょうか。これからも、鉛筆を使って文字を書く、文章を写すなど、基礎体力としての学習スキルは必要であると考えます。
AI の壁はどんどん高くなりますが、相手の心を考えながらのコミュニケーション能力や自然・社会を観察しながら学びそれを表す言語力は、まだまだ人間の方が上です。AI には本質的な「意味」がわからないことが多いからです。そのためにも、論理的思考ができて、意味がわかる、つまり AI よりも上のレベルの読解力・言語力を身に着けた人間を育てていきたいと思います。