あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第五十六回 久良木麻椰さん

久良木麻椰さん

久良木麻椰さん略歴
2011年3月 あさひ学園サンゲーブル校中学部卒業
2013年3月 あさひ学園サンタモニカ校高等部卒業
2014年6月 North High School
2018年6月 U.C. Los Angeles 卒業 数学教育・政治学 専攻
2020年6月 U.C. Los Angeles Graduate School 卒業
現在  ロサンゼルス近郊のハイスクールにて 教師として勤務
あさひ学園非常勤講師

あさひ学園でしか出会えない「仲間」の大切さ

ご自身の経験を活かし、現在、ロサンゼルス近郊のハイスクールで数学とプログラミングの教師として、また、あさひ学園では非常勤教師として、ご活躍の久良木麻椰さんに、お話を伺いました。

簡単な自己紹介をお願いします

  初めまして、久良木麻椰です。
私はあさひ学園サンゲーブル校の中学部を卒業し、その後、サンタモニカ校の高等部を卒業しました。  その後、UCLAで数学教育と政治学を勉強し、大学院で教育学の修士号と数学の教員免許を取得しました。 現在は、アメリカの現地校(ハイスクール)で数学とプログラミングを教えています。

あさひ学園で学ばれることになった経緯を教えてください

  あさひ学園に通うきっかけは人それぞれだと思います。私のきっかけは、単純な好奇心でした。地元の日系幼稚園に通っていたとき、当時の担任の先生に「あさひ学園に通ってみてはどうかしら?」と勧められ、幼い私は何も考えずに「通ってみたい!」と思ったのです。

在学中の勉強や生活で、心がけていることはありますか?

  子どもの小さな好奇心から始まったあさひ学園での学園生活。現地校の勉強とあさひ学園の勉強を両立し、我ながら「よく頑張ったな」と思います。私は土曜日を「あさひの日」と決め、できるだけ、あさひ学園の宿題は土曜日に済ませて、音読や漢字テストの勉強は、毎日少しずつ取り組むようにしていました。現地校の友達には「土曜日まで学校に通って、大変じゃないの?」と聞かれることもありましたが、当時はそういった大変さにはあまり目を向けず、「友達に会える!」と毎週あさひ学園に行くことが待ち遠しかったことを覚えています。

授業、休み時間、そして学校行事などでの思い出にはどんなものがありますか?

  休み時間には「あのドラマの続き観た?」「あのアーティストの新曲聴いた?」など、いつも友達と語り合っていました。現地校ではアメリカの文化に沿った話題がほとんどだったので、日本の文化を仲間内で共有できることは、とても貴重な経験でした。今でも、当時聴いていた邦楽が流れてくると、みんなの顔が思い浮かびます。

  現地校は現地校で楽しかったのですが、授業ごとに違う教室へ移動するため、部活動以外では、なかなか「一体感」や「連帯感」などを感じることはありませんでした。それに対して、あさひ学園では常に学級で行動を共にするため、中学部、特に中学2年、3年に進級する頃には、簡単には途切れない絆が芽生えていた気がします。毎週の授業はもちろん、バザーや運動会、さまざまなイベントを共に過ごす度に、友達との仲は深まっていきました。中学部の卒業式では、みんなと離れるのが悲しくて大粒の涙を流したことを思い出します。

 

努力を共に重ねることで絆を深められたのですね。在学中、迷いや葛藤などはありましたか?

  もちろん在学中に悩みがなかったと言えば嘘になります。特に現地校のハイスクールでは、マーチングバンドに入っていたので、部活動が土曜日にぶつかり、あさひ学園を欠席することが増えました。けれども、翌週、あさひ学園に登校すると「安心する場所に戻ってきた」という気持ちになり、ホッとする自分がいました。もしかしたら、あさひ学園に通っている間に、現地校との両立に押し潰されそうな日も来るかもしれませんが、そのときは「あさひで学ぶこと・経験することは、あさひでしか学べない・経験できない」ということを思い出してください。

あさひ学園での学びは、今のお仕事を選ぶのに影響はありましたか?

  私は今、現地校で教えています。ロサンゼルスの現地校には、さまざまな文化のもとで育ってきた生徒がたくさん通っています。そのような生徒たちに共感できるのは、一つの文化だけではなく、あさひ学園を通して「日本」の文化を経験したからこそだと思い、あさひ学園の大切さを再確認しています。

  また、私は時々通訳のお仕事もしています。このようなお仕事に声をかけていただけるのは、あさひ学園で敬語などを学んだからだと思います。このお仕事を通して、日本の文化を英語圏の方々に伝える手助けができれば良いと考えています。

 

あさひ学園で出会ったお友達とは、今どんな繋がりがありますか?

  つい先日、コロナ禍でしばらく会えなかったあさひの友達と久しぶりに集まりました。大人になってから出会う仲間とは芽生えにくい親近感を感じ、心が温まるひとときでした。
一人一人が違う仕事に進み、学生だった頃とは環境もずいぶん変わりましたが、みんなで集まると当時に戻った感じがして、涙が出るまで笑っていました。そこは、あさひ学園に通った人たちにしか伝わらない思い出話にあふれていました。日本のドラマでは「青春」というテーマがよく描かれていますが「私はこの人たちのおかげで、最高の青春を送れたな」と思っています。
その日、みんなで当時の卒業文集を読み返していたとき、「二十五歳の私へ」という10年後の自分へ向けた手紙が目に入りました。そこには「十年後の私は、あさひの友達と話していますか?」と書かれていました。 「十年以上経った今も、同じ思い出話で笑い合っているよ!」と、当時の自分に伝えたいです。

 

現在、本校でも非常勤講師としてご活躍いただいていますが、応募に至る経緯を教えてください

 中学部の卒業文集に、当時の校長先生から「皆さんには日本とアメリカの架け橋になるという大志を抱き、両国の友好のために活躍する人になってほしい」というお言葉をいただきました。「日本とアメリカの架け橋」という言葉がとても印象に残り、私には何ができるだろうと考えたとき、非常勤講師としてあさひ学園で学んだ経験を生かしたいと思い、今に至ります。

 

最後に在校生に対し、先輩としてのメッセージを聞かせてください

  あさひ学園に通うことは決して楽ではありません。勉強や宿題が山のように積み重なり、大変な思いをすることもあるかもしれません。けれども、同じ文化のもとで育った人たちと過ごす時間は、とても大切です。かけがえのない友達との時間を大事にし、何年経っても自然と笑顔になる思い出を、たくさん作ってください。あさひ学園で作る思い出は、一生の宝物になります。

あとがき

  貴重なお話を聞かせてくださり、ありがとうございました。在校生の皆さんにとっても、あさひ学園で共に過ごすお友達の大切さを改めて感じたことと思います。これからもご活躍を応援させていただきます。

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