小島一輝さん略歴
2011年3月
サンタモニカ校中学部卒業
2011年4月
サンタモニカ校高等部入学 その後転校
2016年6月
Keio Academy of New York 卒業
2016年9月
慶応義塾大学法学部政治学科入学
2019年9月
カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)へ留学
2021年3月
慶応義塾大学法学部政治学科卒業予定
2021年4月
P&G Japan: Consumer Market Knowledge
(消費者市場戦略本部) 勤務内定
皆さん、初めまして。
慶應義塾大学法学部政治学科4年の小島一輝と申します。24歳です。
現在、日本の慶應義塾大学 法学部 政治学科に在籍しています。パブリック・ディプロマシー(Public Diplomacy:国家が意図を持って行う広報・文化外交)の視点から、その歴史的背景と専門知識について造詣を深めると共に、現在日本の成⻑戦略に必要な施策を探求しています。また、在学中に、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)へ留学してTechnology Management Programを修了したことで、政治学だけでなく、企業組織論やマーケティング論等の経営学に興味を持ちました。卒業後は、P&G Japan 消費者・市場戦略本部(CMK) にて、日本国内の主要製品ブランドを幾つか担当し、市場調査や顧客分析、マーケティング戦略等の立案を主業務として行う予定です。
小学校の頃は、周囲の生徒や先生とずっとおしゃべりしているような生徒でした。一方、ひとりで図書館にこもって本を読みあさることもあり、かなりオンオフの激しかった生徒だったのかなと思っています(笑)
日本で暮らしていましたが、父の海外転勤に伴い、中学2年の終わりにカリフォルニアへ引越しました。渡米後は現地の中学校・高校に通いましたが、言語の壁から友達作りにかなり苦労しました。週末のあさひ学園で友達と日本語を話す機会がなかったら、きっとストレスで大変なことになっていたと思います(笑)
あさひ学園にはたった1年ほどしか在籍していませんでしたが、宿題や課題等は真面目にこなしていました。日本で暮らしていたこともあり、現地校での授業や課題に比べて、大変だった記憶はありません。
思い返せば、あさひ学園での1年間がなければ、現地校でのストレスを発散することなく、塞ぎ込んでいたかもしれません。あさひ学園での運動会や授業はとても楽しく、久しぶりに日本語が話せる憩いの場という感じでした。
月曜日から金曜日まで現地校で学び、土曜日はあさひ学園で日本語で学習するというスケジュール感でした。平日を全て英語だけで乗り切らなければいけない状態は、常に課題やコミュニケーション等のストレスに追われる毎日であり、土曜日の補習校授業は久しぶりに日本語での会話が許される安寧の地という感覚でした。幸いにも、サンタモニカ校では、同じ中学や高校に通っている友達と仲良くなることができ、また現地校での課題や生き残る術などについて教えてもらうことができ、土曜日の補習校で学んだこと(生き残る術)を次の平日に現地校で活かすということを繰り返していました。(笑)
あまり現地校には馴染むことができず、いつもランチを誰かと食べるということがありませんでした。ですから、週一度きりでしたが、クラスの友人と円卓を囲みながらご飯を食べながら話すことができたランチタイムは楽しかったです。自分にとっては、大事な思い出です。
「母国語」の重要性を痛感しました。特に、日本語における生活言語と学習言語といった「言語表現力」文章を書く際の「構造化能力」が重要であるという点です。当時、現地校で使用していた言語は主に「英語」であり「日本語」ではありませんでした。大学時の留学を含めれば、結果的にアメリカに7年ほど暮らしていたため、英語の語彙力や表現力は格段に上達したと思っていますが、米国滞在の期間が長くなるにつれて「母国語」である日本語が衰えてきた時期もありました。ニューヨークで高校時代を過ごした間も、ずっと授業や課題活動等で英語を使う日々で、日本語を扱う力が徐々に弱くなっていることに気づきました。いわゆる言語のダブル・リミテッド状態になりかけていたのだと思いますが、あさひ学園で培った日本語学習の習慣があったのか、高校時代も日本語で教科書を読む、課題を勉強する、他者とコミュニケーションを取るといった行動を続けられました。おかげか、母国語を扱う能力を維持したまま、英語力を向上させることができたのだと考えています。当時の自分は、あさひ学園はただの補習校であり、日本語だけの簡単な授業と考えていましたが、今考えれば「日本語で物事を思考する習慣づくりの基礎」ができていたのかなと考えています。
学んだ高校が慶應義塾大学の系列校だったこと、高校在籍中に政治学の上級クラス(AP Political Science)を履修し「高校模擬国連全米大会」に代表として参加したことがきっかけで、より国際政治を学びたいと思いました。高校卒業後は日本に帰国し、慶應義塾大学法学部政治学科へ入学しました。在学中、特に力を入れていて学んでいたのが、ソフトパワーや広報文化外交といった「パブリック・ディプロマシー」の分野です。パブリック・ディプロマシーとは、自国の保有するソフトパワーや文化的資産を活用して国際世論に影響を与えることで、より有利な国際環境を形成しようとする外交活動の一種です。「対外発信の強化」という形で実施された「クール・ジャパン」などが挙げられます。
慶應義塾大学は、私立大学の中でも自由な校風や歴史ある大学として有名です。そのためか、本当に色々な学生がいます。大学1年の頃は、ストリートダンス・サークルや、法学系サークルに所属し、典型的な大学生らしい生活を送っていました。2年生になるとサークル活動も物足りなくなり、福島第一原発の民間事故調査委員会を立ち上げた独立系シンクタンクである「アジア・パシフィック・イニシアティブ」で、リサーチ・アシスタントとして長期インターンシップを開始しました。その後はサークル活動も一切しなくなり、図書館・講義室・勤務オフィスを往復するような大学生活でした。そのため、ほとんどの友人は高校時代から続く同級生かインターンを通じて知り合った他大学の学生です(笑)
「歴史」と「ネームバリュー」が強いこともあり、政治学・経済学・経営学といった方面における学問的知見や歴史が豊かである点とビジネスを主軸とする経済界との親密な繋がりが維持できている点です。特に卒業生は、政界・経済界・アカデミア界において幅広い信頼関係を築いている人が多く、シンクタンクでのプロジェクトや就職活動時のOB・OG訪問、研究時のインタビュー等で非常に役立ちました。
※自分が通学したのは、あくまで慶應義塾大学(日本)とUniversity of California, Santa Barbara(アメリカ)の2校のみですので、必ずしも全ての大学に当てはまるものではありません。また感じたことは、あくまでも自分の体験や環境に基づくものですので、ご了承ください。
留学時に感じた両大学の違いは2つあります。「学生へのサポート」と「勉強量」の違いです。
まず、「学生へのサポート」が全く異なります。
UCSBでは、学生のフィジカル・メンタルケアとして、心理カウンセラーや専属医、また進路や学事に関する相談を行えるアドバイザーが各学部に独立して配置されています。また学費が高いということもあり、図書館が24時間開放されていますし、カフェテリアが複数あるなど、キャンパス・ライフにおいて、より手厚いサポートを受けられるというのは大きなメリットだと感じました。慶應大学側も各種サポート等はありますが、やはり規模は小さく、学事の対応なども決して良いものとは言えません。あくまで自己責任という立場は両大学で共通している点ですが、学生が求めたサポートに対する対応に、大きな差があると感じました。
次に、学生の「勉強量」です。これは自身が日本語の方が得意だからという個人的な問題もありますが、通常授業における学生側の負担量が全く違います。UCSBでは、基本的に学生は各学期に3〜5つ程の授業を履修しますが、ほとんどの授業は予習が大前提であり、予習としての課題論文が3〜5本ほど、教科書の予習では毎週チャプターを理解してこなければならず、復習クイズのような形で毎週理解度を試される形になります。慶應では、毎週課題が出ることはなく、出席クイズのようなものも、授業を聞いていれば答えられるような比較的安易な問題が多くあり、そこまで大変ではありません。もちろん所属大学や学部学科によっても違いはあると思いますが、慶應での1日の勉強時間は多くて(講義時間を含めないで)5時間ほどであり、空いた時間にはインターン勤務を行なっていました。一方、UCSBでは1日の勉強時間は少なくても11時間、サークルやインターンに行く時間は一切ありませんでした。母国語ではない言語で履修していたからだとは思いますが、(現地生まれの)英語ネイティブの友人が同じように勉強していたことを考えると、日米の大学における勉強量の差は間違いなく存在していると思います。
「留学に行ったらとりあえず人生が大きく変わる」・「就活で有利になる」・「留学に行かないと必ず損をする」「英語を学ぶなら留学」という声をよく聞きますが、私は別にそうは思いません。もちろん、留学で新たに得られる知識や価値観等は一部あるとは思いますが、必ずしも留学に行ったからと言ってバラ色の海外生活が待っているわけではありません。実際に、狙った通りの留学生活にならず、挫折を経験する学生は私の周りにも多くいましたし、思ったより何も成し遂げられなかったと後悔する学生もいます。
ですが、私はこの「思ったよりうまくいかない」という点にこそ、海外留学の面白さがあると考えています。具体的に言えば、留学を通じて「既存の世界観が崩壊する」ことが留学の一番の醍醐味であり、今まで自身が作り上げてきた「当たり前」の世界観を壊すことに意味があると思っています。特に「マイノリティーになることができる」。これは留学の大きなメリットです。日本だけで生活していても、基本的に人種的な偏見を肌で感じる機会やマイノリティとして生活するような機会はありません。ところが、留学生活では、アジア人だから、日本人だから、英語がネイティブではないから、こうした色々な理由で思うようにいかなかったり冷たい扱いをされたりするというような経験をすることになります。学生のうちにこうした経験をすることは「異文化を受容し多様性を理解する」という観点からしても、極めて重要なことなのではないでしょうか。
全米でBlack Lives Matter運動が激化する理由・未だに根強く残る人種差別問題や歴史問題等の各国に根付く「常識」や「社会の流れ」に対して、「真の当事者意識」を持ち「共感」することができるのは、留学や職務等を通じて実際に現地を訪れ、経験したことのある人だけです。全く理解できない価値観を持っている人と相対する際に、自分と異なる理解できない考えを持つからと対話を諦めるか、もしくは相手の立場や環境・文化的背景を考慮した上でコミュニケーションを取るよう努力するのか。結局は人それぞれの価値観や考えによって最終的な判断は異なりますが、国外・国内を問わず、「多様な価値観を持った個人」と触れ合うことができる留学は人生において重要な経験の1つになると思います。
大学で学んだ国際政治関連のキャリアを歩みたいと思っていましたが、留学先で消費者行動論・行動経済学・マーケティング論を自主的に専攻し、結果的に、卒業後はP&G Japanのマーケティング戦略立案&市場戦略担当になる予定です。
P&GのCMK部門を志望した理由は二点あります。一点目は世界最大である消費財メーカーのブランドマネジメント戦略を立案から実行まで携われることに魅力を感じ、ブランドやモノの価値について戦略的に探求したいと考えていたからです。そして二点目は、戦略の実現に向けて他部署と密接な連携を行い複数のビジネスチームに参画できることで、幅広い視野を得ながら早い段階から刺激的な環境下に身を置くことができると確信が持てたからです。実際に慶應義塾大学の先輩も多く、春から一緒に働けることを楽しみにしています。
今思えばグローバルに働く機会を残しておきたいと感じたのは、あさひ学園時代にアメリカで働く日本人の先生や友人の親御さんたちを見たからかもしれません。当時、英語が全くできなかった自分は海外で職を得て生きていくことは自分に無理なのではないかと思っていました。ですが、大学時に国際政治を学び、留学時に国際マーケティング等を学んだ自分は、将来日本国内だけでなく海外でも働きたいと思えるようになりました。このように海外に視野を向けられるようになったきっかけは、あさひ学園での学生生活があったからだと考えています。
将来の夢は、<日本一のトップマーケター>になることです。特に「顧客理解」「マーケティング・リサーチ」「ブランド戦略」を専門分野とするべく、日々精進しています。また、個人的趣味で、日本の風土史や郷土史などの民俗学・文化人類学に関しても研究を続けているため、エスノグラフィー(行動観察)といった質的調査をより実践的にマーケティング戦略の立案に組み込んでいきたいと考えています。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行により約1年間の留学も途中で中止となり、早期に帰国せざるを得ない形となりました。東京オリンピックの中止や緊急事態宣言による外出自粛など、思い描いていた生活とは大きく異なる現実が我々の目の前に広がっています。こうした社会情勢下で感じることは、今まで自分たちが「当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなった」という事実であり、いかに自分たちの日々の思考が「当たり前」という認識のもとに形作られていたかという点です。休日に家族と仲良く外食をして映画を見る、平日の夜に職場の友人と居酒屋に飲みに行くなど、これまでの「日常」は、突如として「非日常」に変わってしまいました。人々の消費における価値観は何が重視されていくのか、日常的な消費と非日常的な消費では何が変わるのか。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がもたらした新しいライフスタイルでは、今後「リアルの普遍価値」が再定義されていくでしょう。こうした社会の流れに遅れないためにも、自身の価値観や思考を日々改める姿勢と努力、すなわち柔軟な思考力と適応力こそが、今後の激動する社会を生きる上で必要不可欠なのではないかと感じています。
<人の意見は鵜呑みにするな・自分の意見を信じろ>
世間一般の常識として、「人に相談しなさい・人の意見を聞きなさい」という言葉があります。私は、この言葉が苦手です。あまりに当然の教訓なので疑問に思わない人もいるかもしれませんが、この言葉を盲従してしまうのは危険だと常々感じています。この言葉の真意は、「自分1人の考えよりも多くの人の意見を取り入れることで判断ミスを防げる」や「経験不足を補うために、経験豊かな先輩や他者の意見を聞くべき」といった部分にあると思います。確かに正しいように思える言葉ではありますが、この言葉はメリットのみが強調されがちであり、デメリットの部分があまり理解されていません。デメリットとしては、「多数派に意見が偏り少数派の意見が抑圧される」や「経験や知識に個人的な差があるため、必ずしもアドバイスが的確ではない」といったものがあるでしょう。何かを断言されると、相手の経験豊富なキャリアや意見の強さを前に「この人の言うことは間違いがないだろう。言う通りにしたほうが良いかもしれない。」と思いがちです。ですが、自身の悩みや問題に関しては本人が1番把握しており、最終的には自身が悩みや課題を解決できる最も近い場所に位置しています。多様性溢れるアメリカに住む皆さんには「当たり前」だと思いますが、「100人いれば、100人とも意見が違う」のは至極当然で議論なども日常茶飯事です。確かに、友人や先輩など、人生経験豊富な先駆者たちからのアドバイスには耳を傾けた方が良いでしょう。何か新たな発見や今まで気付いていなかった部分に気づくことができるかもしれません。ですが、あくまで「意見に耳を傾ける」だけであり「意見を聞く・鵜呑みにする」ことは危険です。例えば、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大等により広まるデマやフェイクニュースなど、他者から伝えられた情報を信じ、疑いもせずに鵜呑みにする人ほど、デマやフェークニュースを意図せず拡散させてしまいます。
新型コロナウイルス感染症の拡大を契機に、これまでの「日常」は、突如として「非日常」に変わり、今後あらゆるものの価値が再定義されていくと考えられています。こうした社会では、自身の価値観や思考を日々改める姿勢と努力、すなわち柔軟な思考力と適応力こそが、今後の激動する社会を生きる上で必要不可欠になるのではないでしょうか。こうした適応力や柔軟な思考力を身につけるためにも、他者の意見はあくまで参考程度にとどめ、最終的な意思決定は自らが責任を持って行うようにしてください。自身に関わる判断を全て他人に委ねては危険です。他者からのアドバイスに耳を傾けても鵜呑みにせず、自分が本当にやりたいことがあれば、それを疑わずに一歩踏み出してみてください。それが、「自分を信じる」ことであり、「自信を持つ」ということに繋がると思います。
保護者の皆様。
本校はただいま安全管理強化中です。駐車場を含む
校舎・敷地内では保護者認証名札を必ず着用ください。
外部の方は職員室にて受付し、Visitor Passを着用ください。
保護者認証名札やVisitor Pass(スティッカー)を未着用の
方には、警備員・職員からお声がけします。