あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第五十四回 金森 セーラさん

金森 セーラさん略歴
在籍トーランス校小学部・中学部を卒業
 サンタモニカ校高等部卒業
(現地校) South High School
大学University of California, Irvine (生物学専攻) 卒業
 東京大学 (科学生命工学部) 留学
大学院ピッツバーグのMedical Schoolを卒業
 ニューヨーク市内で内科医 (Internal Medicine) 研修
現在ProvidenceとTorrance Memorial Cedar-Sinai
 Medical Centerで内科医

「バイリンガル医師を育てたあさひ学園」

簡単な自己紹介をお願いします

 金森セーラです。フロリダで生まれ、幼少期はオーランドで過ごし、小学3年生の時にロサンゼルスに引っ越し。同時にあさひ学園に転入し、小・中はトーランス校、高等部はサンタモニカ校に在籍。現地高校はトーランスのSouth High School、大学はUC Irvineで生物学専攻、東京大学(科学生命工学部)に留学、その後ピッツバーグのMedical Schoolへ進む。医大卒業後はニューヨーク市内で内科専門医(Internal Medicine)の資格を得る。2020年にロサンゼルスに戻り、現在はProvidenceとTorrance Memorial Cedar-Sinai Medical Centerで内科医として勤務。2歳になる娘と愛犬チワワのママで、剣道5段。

 

あさひ学園では、どんな生徒で、どんな思い出がありますか?

 どんな生徒だったかは先生方に聞いてみないとわからないのですが、宿題は真面目にやってきたので、そういうことで怒られることはありませんでした(笑)。漢字テストや期末テストの成績も良かった方ではないかという記憶はあります。中学、高校の時には卒業生代表や新入生の挨拶をしたり、運動会では選手宣誓を任せられたり、高等部の弁論大会では優勝と翌年には準優勝、などなど行事ごとに積極的に参加していた方だと思います。

 

 現地校との両立は泣くほど大変ということはありませんでしたが、これは主に母のおかげだと思います。母に励まされてあさひ学園の宿題は日曜日と月曜日に全部終えてしまうという習慣があったので、現地校との両立は中学まではそれほど大変ではありませんでした。今思い返せば、前日まで宿題を溜め込むと平日に遊べないから早く終わらせたかっただけなのかもしれません。ただ、期末試験の前や、高等部に入った時の論文などは時間がかかったのでその時期は多少大変だったという記憶はあります。

 

 あさひ学園に通っていて一番楽しかったことは、他の現地校に通っている日本人のお友達と会えたり運動会などの日本独特の行事があることでした。高等部で一緒のクラスだった女の子たちとは今でも半数ほどどこかで繋がっていて、子供同士で遊ばせたり日本で会ったりしています。おしゃべりする時は高校生だった頃が鮮明に蘇ります。生徒数もあまり多くない高等部のクラスのみんなと毎週土曜日に卒業論文や百人一首大会、弁論大会など、沢山の課題を一緒に乗り越えてきた仲だからこそ今でもつながりが残っているのだと思います。

 

 あさひ学園の嫌なところは、正直あまり覚えていません。当時はあったのかもしれないけれども、今でも覚えているほどの経験はしたことがありません。唯一あるとしたら、トーランスからサンタモニカまで毎週土曜日に朝早く起きて行かないといけなかったことです。けれども、私を毎週車で送り迎えしてくれた両親の方が大変だったと思います。

 

がんばってあさひ学園での勉強を続けたことに対して、どのように思いますか?

 

 これは本当に心から思っていることなのですが、あさひ学園に通っていなければ今の私は違う人になっていたと思います。あさひ学園でしっかり日本語教育を受けたおかげで、今現在医師という立場から日本人の患者さんを診てあげられることができます。ニューヨークやロサンゼルスで医師として働いている中で気付いたことは、「日本語で受診をしたい患者さんの要望に応えられる医師があまりいない」ということでした。今でも、診察している間などにあさひ学園の高等部の授業で学んだ丁寧語、尊敬語、謙譲語の授業を受けている自分の姿を思い出し、先生方や両親には感謝している日々です。

 

剣道5段とのことですが、剣道に対する思いを聞かせてください。

 勉強以外には、小学校6年生の頃から剣道を続けています。もともとトーランスにある剣道道場で始めたのですが、東京に住んでいる間は東大剣道部、ピッツバーグにいる間はピッツバーグ大学剣道部、ニューヨークにいる間は志道学院とどこへ行っても剣道は続けるようにしていました。娘の妊娠がわかる直前まで20年以上続けています。娘が産まれてからは、剣道に復帰できる前にコロナが始まってしまいしばらく道場には通えていませんが、今の主人も含め、剣道を通じて沢山の出会いがありました。稽古をしている間だけは嫌なことを忘れることができる「日々鍛錬、日々精進」の繰り返しの剣道は、私にとっては常に人としてのあり方や、人生の歩み方を考えさせてくれるし、人として成長させてくれるものでもあります。

 

Covid-19の感染拡大という誰も考えていなかったと思われる事態が続き、世界中が大きな嵐の中に巻き込まれています。誰もが何らかの影響を受け、混乱の中で生活しています。そんな中で、医療現場に携わられ方や研究に携われている方のご苦労は、私たちの想像 をはるかに超えるものだと思います。そして感染拡大が最も深刻であった時期、ニューヨークで、医療に携われていたと伺いました。どんな思いで、どんなことを考え、毎日を過ごされていたのでしょうか? ご自身の生活は変わられましたか?ご自身の中で、何か大きく変わられたことはありますか?

S. Kanamori

 アメリカと日本の医療システムは大いに違います。私はInternal medicine(内科)を選択しましたが、これには理由があります。前々からトーランスには日本人の医師が少ないと感じてはいたのですが、東海岸にも住んでみてこれはロサンゼルスだけではなくアメリカ全土のことなのだな、と気づきました。その中でも女医は特に少なく感じます(子宮頸がん検診などもあるため女医に診察してもらいたいという日本人の女性がたくさんいます)。私は日本人として、日本語で受診されたい患者さんのお力になりたいと思い、皆さんが気軽に相談ができる内科医という職業をあえて選びました。10~20年後には自分のクリニックを構えたいと思ったりもしていますが、ビジネス面が全くできないのでまだどうなるかはわかりません。(笑)

 

 ニューヨークの病院がコロナ患者で溢れかえり始めた時は、正直私はもう直ぐ死んでしまうのではないかと思ったこともありました。自分とあまり変わらない年齢の患者さんがICUに運ばれ、気管挿管され何週間も戦ったのち亡くなっていく姿を見るたびに次は自分の番なのでは・・・と思いました。あの時の気持ちを忘れないように2020年の4月(ニューヨークのコロナピーク時)に携帯のメモ機能に書き綴ってあった内容がこれです:

 

 <私は今医療機関の前線にいます。ニューヨークでICU/集中治療室にいるコロナ患者を診ています。病院は防護服もマスクも足りなく使い回しをしている状態。家族の安全のためうちを出てホテル暮らしを始めました。自分が明日は患者になるんじゃないかと毎日考えながら眠りに落ちます。もう何人も20代、30代の患者さんを失いました。自分の両親と同じ誕生日の人たちも亡くなりました。考えられること全てを試してもダメな人が毎日毎日亡くなって、そのたびに遺族の人たちに泣かれます。病院内の患者がほぼコロナ感染者で、殆どの患者さんが一人で寂しく死んでいきます。そして毎晩夢の中に今日亡くなってしまった患者さんが出てきます。コロナにかかって亡くなった同僚の顔も浮かび上がります。

 

 何度も投稿をしようと思って消しましたが、今日はすることにしました。何故かと言うと殆どの人は現場の状況を全くわかっていないから。私達が、世界が今どれだけ医療崩壊の状態にいるか報道されていないから。絶対に医師とはしてはいけない患者の優先順位を決めないといけない状態。それも90歳以上とかじゃなくて60代、70代で私の両親と同じ歳の人達。もっと若い30代、40代の助かるかもしれない人を優先せざるを得ない状態。そして全力を尽くしてもそれでも亡くなってしまうこの人達。どうしていいかわからない。>

 

 これはホテル滞在中に書いたものだったと思いますが、あの時の気持ちは今でも思い出したくないものです。

 

最後に、後輩たちへのメッセージをお願いします。

 みなさん、中学や高校生の時に現地校の宿題が大変なのはとてもよくわかります。中には未来の自分の姿を想像できたり、明確な将来図を持って一生懸命勉学に励んでいる子達も沢山いることと思います。そのプランの中には日本語ができないといけない、という条件が無いかもしれません。もちろん英語だけでも十分やっていけるし、世界に通じる人になるには全く問題無い事だと思います。でも、きっと、今あさひ学園に通われている生徒さんたちはどこかで日本人の血筋を持っているんですよね。それは大切にしてほしいと思います。それはあなたの特権でもあり、将来武器にもなるかもしれないからです。人生のボーナスです。今はあさひ学園以外で日本語を話す機会がないかもしれない。将来日本に住むことはないかもしれない。でも、未来の自分は違う考え方をしているかもしれない。必ず、「日本語を頑張ってよかった」と思える日が来ます。だから今は頑張ってほしい。頑張って、頑張って、頑張り抜いた先には光が溢れていて、過去の辛かった日々までもが輝いて見えるようになります。今はまさにロサンゼルスはコロナのピークにあり、そのせいで寂しい思いをしたり、辛い日々だと思います。ここは皆一緒の船に乗っていると思って乗り越えてほしいです。コロナと実際に戦っている医療従事者や、早く終わらせようと寝る間も惜しまず研究を続けている人たち、そしてその他のEssential Worker達の努力を無駄にしないよう、私たちが今できることは、毎日を強く生き抜き、幸せが何かということを見失わず、コロナに負けず粘り強く生き抜く姿を見せることです。

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