あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第五十一回 青山 裕美 さん

青山 裕美さん略歴
在籍サンタモニカ校 小学部1年-高校部卒業
(現地校) Agoura High School
大学UCLA Communication Studiesを専攻
現在NPO法人Keiro 勤務

「言語と文化のバイリンガル」

アメリカで生まれ育ち、大学卒業後に日本での勤務を経験。その後再び米国に戻り、現在はNPO法人「敬老」でご活躍の青山さんにお話を伺いました。

あさひ学園は、あなたにとってどんな場でしたか?

家の中では「日本語だけ」というルールもあり、英語力がなかなか身に付きませんでした。
そんな状況の中で「日本語を学べるあさひ学園の環境」はとても楽しかったので、真面目に授業に取り組んでいました。いつしか「日本で生活したい、日本に行ってみたい」と強く思うようになったのも、あさひ学園で学んだことがきっかけだったと思います。宿題はかなり多く、金曜日の夜にやっていたことが懐かしく思い出されますが、そのおかげで、今があると思っています。夏休みの読書感想文は、難しかったですね。本を読むのが、苦手でした。

あさひ学園の生活は、どうでしたか?

とにかく、勉強する時間が多かったと思います。調整できていたのかどうかわかりませんが、ただただ、現地校とあさひ学園、他の習い事と、毎日宿題に追われていたのは覚えています。
そんな中、高校生の時の運動会の応援団や弁論大会は、特に強く記憶に残っています。卒業式の答辞をしたことや、授業中に起きた個性的な先生たちとの様々なハプニングなど思い出します。中学生の頃は日本のドラマやバラエティを見たり、J-popを聞いたりするようになったので、その話題でクラスの友達と盛り上がっていました。同じ境遇を共有する仲間たちと共に、日本文化に触れながら過ごせる時間を持てたことは、とても意義があったと思います。小学部高学年からは、交換日記などもやっていたりしました。
土曜日の一日が、学校に取られてしまうのが一番つらかったかもしれません。「土曜日があれば、あれもこれもできるのに...」という思いは、時折ありました。ただ、「辞めたい」と思うことは私の選択肢にはありませんでした。特に、中学生の頃からは「日本に行ってみたい」という思いが強くなり、「いずれどこかで日本語が必要になる、意味のあることになる」という考えが、どこかにあったからだと思います。同時に、両親が「日本語を学ぶ必要性」を教えて、環境を作ってくれていたと感じています。

あさひ学園での経験は、今のあなたの生活に影響を与えましたか?

日本語力や日本の文化の理解を培うことができました。その結果、日本での生活や職場経験を積むことにつながり、新入社員にもかかわらず、バイリンガルだったこともあり、多くの出張の経験やグローバルな案件の担当など、多くの貴重な機会を得ることができました。今の職場でも、日英両語を使っています。「言語」が「自分の武器」の一つになったと感じています。文化の理解もあることによって、各言語でのニュアンスも含めて深く学ぶことができます。
あさひ学園で会社でのビジネスマナーやビジネスの日本語を学ぶことはありませんでしたが、あさひ学園で培った基礎あってのことだと思っています。

あさひ学園でのお友達とは、今も連絡を取っているのですか?

多くの同級生が日本で生活をしていた時期があり、その時に同窓会をしました。数年で日本に帰国した者、高校だけ来ていた者、私のようにずっと通っていた者、あさひ学園に通っていた時期は異なりますが、10名近く集まり、とても盛り上がりました。中には小学生の時以来会っていない友人もいて、とても楽しいひと時でした。現在でも、数名の同級生と食事に行ったりもしています。

大学や大学院での専攻と選択理由及びそこでの経験について

日本の大学で学ぶことを一度は考えましたが、育っていない国で大学に通うリスクや自分に合わない可能性もあることも考え、双方の生活にも通用する大学をと、最終的にUCLAに行くことに決めました。様々な国から色々な人が集まるアメリカの大学で学ぶことを決めたことは、正解だったと感じています。昔から日本のCM等に興味も持っていたことから、人とメディアのコミュニケーションについて学びたいと「Communication Studies」を専攻しました。
在学中は日系人の文化やコミュニティでボランティアもできる日系学生会(Nikkei Student Union)に所属していましたが、その中でもバックグラウンドが異なる学生と触れ合う中で、自分の視野を大きく広げることができた気がします。
当時、私は「日本人」か「アメリカ人」のどちらかを選ばないといけなくて両方はないのだと、自分のアイデンティティに白黒つけたがるようになっていました。中学生の頃は英語力が乏しかったこともあり、いずれはアメリカを離れて日本で生活していきたいと思うほど「自分は日本人なのだ」と言い聞かせ、ドラマやバラエティを見て、更に日本を美化している自分がいました。
しかしながら、大学生活で出会った人たちは日本語力や英語力も様々で、それぞれの個性、アイデンティティを持っていました。また、3世や4世の日系アメリカ人たちとも仲良くなり、彼らが私の思っていた「白黒」という世界の常識を破ってくれました。「自分は日系アメリカ人でいいのだ」ということを大学で感じるようになりました。
あるがままの自分を肯定してくれる友人たちに囲まれ、その中でリーダーシップのポストをとり自分の殻を破ることができたのが、大学生活でした。
日系学生会の活動では、大きなプロダクションのプロデューサーもしました。イベント企画を学んだり、日系人の歴史を学んだりできたのもこのクラブでした。同時に、あさひ学園で学んだ学生や他の学校で日本語を勉強して育った同じ新二世の学生たちに出会えたのもこのクラブでした。
勉強とクラブ活動と活発にやっていたので睡眠は十分ではありませんでしたが、とても充実した学生生活でした。

現在あるいはこれからの仕事について

大学卒業前、卒業してやりたいことがわかりませんでした。実は、今も模索中です。
いずれ日本で生活してみたいと思っていましたが、まだまだ終身雇用の日本での新卒採用の可能性や仕事を経験したから就職先を日本で探すのは難しいかもしれないと思い、4年生の時にボストンキャリアフォーラムに参加しました。
仕事を見つけることは容易ではありませんでしたが、電話、SI、ネットワーク、データーセンター、クラウドサービスを多くの企業向けに提供しているグローバル企業であるNTTコミュニケーションより内定をいただきました。現地法人も世界中にあり、当時はちょうどクラウドサービスを提供し始める時期でした。
当時、ITについて何もわかっていませんでしたが、これをチャンスと捉え、卒業後、日本での生活をスタートしました。慣れない中、入社当初は営業支援の部に配属され、色々と「日本人の社会人としての基礎」「理解できない日本語」や「作法」を一から教えていただきました。理解できないことも多々ありましたが、一つ一つ、文化の違いとなぜそうなのかを理解しつつ、生活をつづけました。
その後、グローバルな案件に携わったり、プロジェクトマネージメントの経験を重ねたり、素敵な人たちに囲まれた充実した4年半を過ごしました。入社わずか半年で沖縄出張をしたり、インド、ヨーロッパ、アメリカの人たちと電話会議で何時間も話したり、香港で顧客の前で英語のプレゼンをしたりと、色々な経験もしました。
4年半の歳月を経て、別の業界で仕事がしたいと悩んだ末、退職してアメリカに戻りました。日本での生活が自分には合わない、自分の価値観は日本人よりアメリカ人なのだと感じたこともその要因です。 アメリカに帰国後、専攻していたコミュニケーションに関連する仕事をしていきたいと、今の仕事に就きました。Keiroでは、印刷物、ネット、すべてのコミュニケーションを担当しています。もともと興味のあった分野なので、日本語と英語のコミュニケーションスタイルを学びながら仕事ができる、私にはとてもいい職場環境です。
Keiroは、日系高齢者の方のために様々なサービスを提供するNPO法人です。病気を抱える方へのサービス、健康を促進するための健康クラス、外部からの学者やエキスパートをお呼びしてエイジングに関する最先端の情報を発信したり、エイジングに関する様々なことをコミュニティの高齢者及び介護者の方に提供することを目的として活動しています。日系3世、4世の方々もいらっしゃれば、私の親のように新1世世代もいらっしゃいます。まだまだ未熟ですが、それぞれの言語で私たちの活動についてコミュニティの方により多く知っていただけるよう、一生懸命仕事をしています。ソーシャルメディア、ニュースレター、Emailでの配信など、様々な形で情報を発信しています。今は英語がメインですが、徐々に日本語の出版物を増やすべく、また日本語でわかりやすくどのように伝えていくかという課題に日々取り組んでいます。

将来の夢や抱負について

相手を理解できず、分かり合えないという場面を日本では多々見ることがありました。「何かを正しく人に伝える」というのはとても難しいことで、時として、言語が変われば、その文化も理解していなければ伝わらないこともあると思います。漠然としていますが、将来は、「言語だけではなく、文化も理解したバイリンガル」として、様々な人たちの架け橋となれる存在になっていきたいと考えています。

最後に後輩にメッセージをお願いします

土曜日も学校に行ったり、宿題をやったり、夏休みの宿題・課題を嫌だなと思うこともありました。でも、今振り返ると、「最後までやり抜いて本当に良かった」と思います。続けさせてくれた両親にも、感謝しています。 2000人以上社員のいるグローバル企業でも、小さなNPO法人でも、「言語が自由に使える」「文化が理解できる」というのは、大きな武器となります。まだ社会人としての経験が浅い私ですが、どの現場でも、多くの貴重な機会を得ていると実感しています。ネットの普及や色々な形で世界が更につながる今だからこそ、「バイリンガルである」ということは、大きなメリットです。みなさん、頑張ってください!

参考:
https://www.keiro.org/jp

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