あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第四十回 長田 寛子 さん

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長田さんは親の仕事で渡米され、最初は慣れない英語で苦労されたようです。日本語教育が必然と考えられた両親の願いで、当時のパサディナ校に通われましたが、時間の経過と共に英語に慣れると、それが自信に繋がるのを自覚されたとのことです。そして当地で培ったバイリンガルを最大限に活かし、映像プロダクションのコーディネターとして活躍され、現在ではJapan ICU Foundation (日本国際基督教大学財団)の学生リクルート・同窓生担当をされています。

"Balance your Japanese and American ways."

-あさひ学園と現地校の思い出-

こんにちは、日本国際基督教大学財団に勤めている長田寛子と申します。 父の転勤に伴いロサンゼルスに引っ越したのは小5の時でした。あさひ学園パサデナ校には中2まで3年間通いました。

渡米したばかりのころは全く英語が分からず、現地校では耳から入る言葉は音としか聞えず、言いたいことを表現できない毎日で頭がパンクしそうでした。そんな私にとって、土曜日の補習校はお友達とやっと普通の小学5年生らしく話せる時間でした。英語に自信がつくようになるまで、補修校は子供の私に安心感を与える大切な時間と場所だったように思います。大変だったのは宿題で、現地校の宿題は他の生徒の何十倍もの時間と労力が必要だった上に、あさひ学園の宿題までなんでやらなくてはいけないの?とよく思いましたが、帰国してから大きなギャップもなく他の生徒とキャッチアップすることができたのは補習校に行っていたおかげです。

初めの頃は、なんでここに居なくてはいけないの?ずっと日本にいたかった、と英語を勉強するのも嫌な気持ちでした。そんな中に「この子に話しても英語が分からないから無駄よ」と言われたのが悔しく、せめて英語が話せるようになって同等にコミュニケーションができるようにならなくては、と必死に家庭教師の先生と英語を勉強するようになりました。

自信のない英語を現地校で話す恥ずかしさが吹っ切れたのは、笑ってしまいますが、授業中にどうしてもトイレに行きたくなって致し方なく手を挙げて先生に「先生トイレに行ってもいいですか」と初めて英語で話した時でした。それがあまりに恥ずかしかったので、その後はどうでもよくなったのですね。きっかけはそんなひょんなことでしたが、それまでの英語で話す恐怖心が、やればできるんだ!、下手でも伝わるんだ!、という気持ちに切り替わったのは大きな収穫でした。

-学生時代-

帰国後、千葉の公立中学に1年半ほど通った後、私は国際基督教大学(ICU)高校に進学しました。いわゆる「逆カルチャーショック」「アイデンティティー・クライシス」というものも通過しましたが、多様なバックグラウンドを持つ帰国生が生徒の3分の2を占め、自由で寛容なICU高校の環境で過ごしたおかげで、自分の日本的な部分も、アメリカナイズした考えも、どちらかが良くてどちらかが悪いということではなく、どちらも受け入れる自分らしいバランス感覚を見いだすことができたと感じています。

大学では国際関係の勉強をしたいと思い、ICU教養学部国際関係科に指定校推薦で入学しました。ICUのリベラル・アーツ教育を最大限に利用し、あらゆる分野の、興味を持った授業をとり「学ぶこと」の面白さを実感しました。印象に残っているのは、多国籍のクラスメートと受けた異文化コミュニケーションの授業。アメリカ人教授による日本美術史の授業。そしてイギリスに交換留学したときに受講した芸術社会学など。就職は、学生時代にのめり込んだダンスで、作品を通し表現する楽しさ、たくさんの人と一緒に作品をつくることの面白さに惹かれ、国際的でクリエイティブな仕事をしたいと考えました。

-日本と海外を繋ぐ仕事に-

CMの制作の現場

サッポロビール「ないものはつくるしかない」
CMの制作の現場

そういった私の興味にぴたりと来る仕事が見つかり、葵プロモーションというCM、TV番組、映画、デジタルコンテンツ等の企画・制作をする制作会社の、国際クリエイティブ推進部という部署に就職しました。主な仕事の内容は、クリエイティブ・コーディネーターとして、海外の映像監督を起用し、国外で日本のCM撮影やWeb制作をするため、あるいは海外から日本に撮影にくる制作チームをサポートするため、企画・制作をコーディネートすること。あらゆる国の奇才な人たちが言語や文化、制作システムなどの違いを超えて共に作品をつくるために、その間に入っての通訳・コーディネートをするのですが、 海外と日本のチームの架け橋となるコミュニケーターとして、相手が何を言おうとしているのかを的確に読み取り、言葉を通訳するだけでなくムードメーカーともなり、同時に様々な場面で問題解決策を見いだすことが要求されました。また相手の国にあわせて仕事の進め方に配慮しつつ、日本の方針の違いにも理解を得るようコミュニケーションを計ることは仕事の大事な側面でした。海外スタッフとのやりとりで役に立ったのは、大学時代に日本文化について勉強したこと。国際的な仕事をするには自分の国や文化について話せなくてはいけない、ということも強く実感しました。 クリエイティブな作品づくりの現場で、どれひとつ「同じ」と思える仕事はなく、常に学ぶこと、そしてインスパイアーされる出会いのある仕事でした。そんなやりがいのある仕事にめぐり合えたことに感謝しています。

その後、独立しフリーランス・コーディネーター/通訳/翻訳を経て、結婚のためNYに引っ越したことをきっかけに、現在はJapan ICU Foundationで母校ICU高校とICUのため、北米の学生リクルート・同窓生担当をしています。ICUなくしては、今の私はいませんから、そんな母校の良さを北米で帰国を控えた受験生や日本語を勉強している高校生に伝え、広報の仕事ができることはとても嬉しいことです。

-在校生へのメッセージ-

2つの言葉で、読み・書き・話すバイリンガルになり、語学能力を維持することは、容易とは言えません。でもあの時にがんばったおかげで、どれだけその先の人生の出会いも経験も豊かになったことか、そして選べる仕事の幅も広がったことか。それを思うと子供のころにした苦労は、今何十倍もの人生の楽しみを与えてくれる宝物のように思えます。在校生の皆さんにも、きっとそう思える日がやってくるでしょう。

最後に2つの言葉を送ります。

“無駄な経験は絶対にない”どんな経験も将来無駄になることは絶対ないです。意味のない経験はありません。どんなチャレンジも前向きにとらえて、努力すれば道は開ける、そう思います。

“Balance your Japanese and American ways.”私の英語の家庭教師が日本へ帰国する前に言ってくれた言葉です。もし「自分はアメリカ人にもなりきれず、日本人にもなりきれない」と思っていたら、「自分はどちらかだけでなくて両方でいれるのだ」ということに誇りを持ってください。ICUでは「変ジャパ(変なジャパニーズの略)」という言葉があります。私たちは親しみを込めて「私は変ジャパなの」と使っていました。変わっていること、人より複雑なアイデンティティーを持っていることは、つまり自分にいろいろな「引出し」があるということです。それはむしろ大きなアドバンテージで、逆にいろんな境遇の人への理解にもつながると思います。日本的な引出しも、インターナショナルな引出しも上手にバランスを見つけて、ぜひ自分らしいあり方をみつけて道を切り開いていって下さい。

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