あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第三十九回 北野 絢子 さん

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北野絢子さんは六歳で渡米され、オレンジ校とインダストリー校で学ばれました。最初のころは不慣れなアメリカ生活に英語で苦労されたようですが、日本に帰国されたら、今度は日本語で悩まれたようです。現在は、日本でもユニークな会社を運営され、あさひ学園卒業生の中にも多彩な方がいらっしゃるものだと感心しております。それでは、北野さんのこれまでの経験を寄稿文でご覧下さい。

日本語と英語の上に

アメリカに引っ越すことになったのは突然のことでした。仲の良い友達や、慣れ親しんだ全てから離れて何の想像さえもできない土地に行くと知らされた6歳のわたしは、何がなんだかわからないままカリフォルニア州ロサンゼルスに転居しました。しかしそこで過ごした4年間がなければ、わたしの人生は全く違うものになっていたことでしょう。

わたしは現在、日本全国に温泉旅館やホテルリゾートを運営する会社の仕事をしています。仕事は主に温泉旅館をまわってその施設に合った新しい魅力を考案・発信していくことです。温泉旅館は、温泉ももちろん魅力ですが、日本料理や部屋のしつらえ、季節の行事など日本の魅力をふんだんに味わえるところです。英語でもそのままRyokanというくらい独特のもので、外国人観光客の方にも大変人気です。しかし初めから旅館の仕事に関わろうと目指していたわけではありません。

アメリカに住み始めた頃は、英語がわからず生活の全てが苦痛でした。その上、土曜日に学校。宿題もたくさんやらなくてはならないのに、日常に必要な英語は上達しません。 それでも、あさひ学園に通うのが嫌ではなかったのは図書室のおかげでした。あさひの図書室には日本語の本がたくさんあります。毎週のように借りては返し、片っ端から読んでいきました。漢字の練習は大嫌いでしたが、日本語力を保てたのは読書のおかげだったと思います。 そうでなければわたしの日本語力は4年の間に一気に低下していたことでしょう。実際、だんだん毎日現地校で使う英語の方が楽になり、「日本語でアレ、なんだっけ」ということもしばしば。。。ことばは全ての基礎になるものですから、その頃本から基礎力をつけていなければ、英語も日本語も、他の勉強も中途半端になってふたつの国の間で困り果てていたかもしれません。

しかし日本に帰ってくると今度は英語力の低下を心配するはめになりました。英語の授業はABCの書き方からスタート、話す人もいない、読む本も限られている(当時、インターネットはありませんでした)。高校の英語の授業は会話、読解、そして文法と豊富にあるものの生活の中で自然に英語を学んだわたしには、英語をわざわざ日本語に訳したり、日本語で英語の文法を説明したりすることが苦手でテストの点数も散々。すっかり英語が嫌いになってしまったのです

それだけではありません。アメリカではことばの壁さえ越えればよかったのです。でも日本に帰ってきた当初は、ことばは通じていても「キタノさんはアメリカに行っていたからそう思うのかもしれないけど」と、わたしの意見の中味ではなく意見そのものに対して批判をされ、窮屈な思いを何度もしました。わたしがアメリカに住んでいなければ、話し合ってもらえたのだろうか・・・。そう思っても、自分は過去の上にできているのです。小中高と学校生活はとても楽しかったですが、「帰国子女」である自分とは何なのか、ひそかに悩み続けました。

その後、進学した有名私大では帰国子女なんて掃いて捨てるほどいて、そんな要素では個性にもならないほどすごいひとたちがたくさんいました。あらゆる勉強を自由にできるところで、課外活動も非常に盛ん。また、誰かから既存のものを教わり覚えるのではなく、自ら考え、試し、創るのが流儀です。わからない、やってみる、結果を出す。研究にも課外活動にもあらゆることにチャレンジし続けた大学生活は本当に充実したものになりました。

社会人になったわたしは戦略系で世界トップ3に入る経営コンサルティング会社に入社しました。アメリカ生活や大学生活を彷彿とさせる自由さと自己責任が当たり前で、その心地よさに惹かれました。仕事では日本語も英語も必要でしたし、ふたつの国での経験がわたしの視野を広げ、あらゆる角度から物事を深く考えるという強みになっていました。仕事はとても難しく大変でしたがそれ以上に面白く、3倍のスピードで時間が流れていくといわれるこの世界では、あっという間に立派な中堅社員になっていました。

そんな折、現在の会社で温泉旅館を統括するディレクターに転職した元同僚に、日本の観光資源と旅館の魅力について話を聞く機会がありました。確かに、仕事で海外にいた時に感じた日本への関心の高さには驚いたものでしたし、仕事の関係で日本的サービスの可能性に興味を抱いていた当時の私に、旅館の接客というのは究極的なものに映りました。

その上、わたしは着物をはじめとした日本の様式美のようなものに人一倍関心を持っていました。それはアメリカ文化との比較できることが根底にあるのか、文化そのものが気になるのかはわかりません。それは「わたしは帰国子女」なのか「たまたまアメリカに住んでいた経験のあるわたし」なのかと同じで、答えは永遠に出ないし、出すことに意味のない問いです。どちらにせよ、わたしは過去の経験の上に立っている。その事実は、変わることはないのですから。

そうして、入社して丸5年たったのを機にわたしは転職を決意しました。それも、色々と周囲にアドバイスをもらい、個人事業主として新しいスタートを切ったのです。今の会社とは契約関係にあるだけで、社員ではありません。独立するという決断を後押ししてくれたのも、アメリカで多感な時期を過ごしたという経験と無関係ではないと思っています。

日本では「仕事は何か」と聞かれると会社名を答えることが普通です。しかしアメリカでは業務内容や役職など、仕事の中身を答えることが常識です。どちらが変でしょうか?それは自分がどちらの文化圏に属しているか次第です。どちらもそこにいれば当たり前で、どちらも逆にいれば違和感があります。両方に対して、自然・不自然ふたつの感情を抱くことは悩ましいもので、自分というものがわからなくなりますが、うまく使えば強い武器になります。わたしは外資系企業にいながら日本的マインドを強くもっているタイプの社員でした。でもそれを逆転させ、日本企業と働きながら個人を重視した働き方をする方を選び、転換したのです。本来なら、それはとても勇気のいることだったと思います。

わたしは日本人であり、日本を愛しています。アメリカで生活していたことがあり、アメリカも愛しています。それが自分であり、その自分らしさを持ってこれからも生きていくでしょう。アメリカでも、日本でも、苦労はしたけれどそれはしっかり実になったと思っています。

今もあさひ学園が続いていると聞き、すごくうれしく思いました。なぜならそれは広い視野を持ち、たくさんの経験を積めるうらやましい子供たち・若者たちが今も育っているということですから。どうか目の前のつらさから楽な方に流れず、たくさんの経験を吸収してください。ことばを、大切にしてください。文化を逆の目から見るくせをつけてみてください。在校生の皆さんがその後アメリカと日本、どちらを生活の場とするのかはわかりませんが、どちらを選んでも活躍することを願い、期待し、信じています。

オレンジ校・インダストリーヒル校 北野絢子

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