あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第三十五回 松井 未来さ ん

卒業生・同窓生便りの第35回は電通に勤務されている松井未来さんからです。あさひ学園には中2からから中3卒業までパサデナ校に通いました。松井さんは海外生活が長く、ロサンゼルスに来る前に米国東海岸に2年、ロンドンに5年半を過ごされています。あさひと現地校での勉強の両立は大変だったようですが、あさひには同じ環境の友達も多く、それが励ましになりました。高校卒業後は、日本の歴史や文化への関心や日本への憧れから、東京大学の経済学部に進学しました。大学では他の大学の学生とのビジネスコンテストを運営、新しいものを作り上げていくことに充足感を持たれたようです。卒業後は大学でのクラブ活動の影響や先輩が実際に活躍されている職場として、電通に入社しました。会社ではマーケティング部門や営業部門で、多くの顧客の広告キャンペーン作成業務に参加、出産休暇を経て、今は国際メディア部門で海外メディアを扱う仕事をされています。在校生の皆さんには2つの学校に通い、言語、歴史、文化を学ぶことは将来への大きな自信にもつながるものであり、友達とのよい関係を作りながら頑張って欲しいとのことです

いい仲間からよい刺激を

こんにちは。電通という広告代理店に勤めている松井未来です。

私は1991年から約2年間、今はなきあさひ学園パサデナ校に在籍していました。当時のあさひ学園には私のように親の仕事の都合で渡米していたクラスメートが殆どでした。現地校の勉強は想像以上に大変だったため、実はあさひの宿題はいつも直前の金曜日に慌てて着手する、と言う有様でした。今だから言えますが、どうしても間に合わなかった時には翌日、授業が始まる前に友達に答えを見せてもらうこともありました。現地校の友達ほど英語の語彙力のなかった私は英語に対するコンプレックスもありましたが、「自分は英語の他に、日本語力がある。今、できる限り頑張ればきっと現地校の友達もできないこともできるようになる」と信じ、少しずつ学力がついてくるとそれを糧にもっと頑張れるようになりました。とはいえ、勉強はいつもギリギリでしたが、それでも私は毎週あさひに通うのが楽しみでした。なぜならあさひには私の母国語である日本語で流行のテレビ番組や歌や本などの話ができる場であり、同じく現地校での勉強の両立をしようと一所懸命の仲間がいたからです。

海外での在籍年数が12年にも及んだ私は自分のルーツである日本をもっと知りたいと思い、東京大学経済学部に進学しました。今思えば、多感な時期にアメリカの人種やその他の沢山の問題を直に体感し、日本が持つ素晴らしい歴史や文化をあさひや自分の両親などから学んだことによる日本への憧れが自分をそうさせたのだと思います。

大学では同級生たちとのサークルの活動に励みました。特に力を入れたのは日本全国の大学生を集めて行ったビジネスコンテストの運営です。自分たちなりにマーケティングの本などを読み、「ケース・スタディ」というものを作り、その「ケース・スタディ」の課題をコンテストに採用し、様々な企業にスポンサーになってもらうことで資金面の他にも賞品や審査員をお願いしたら面白いのではないか、と言う発想から始まりました。イベントに関わる多くの人それぞれの立場を考え、皆が楽しめるものにするために試行錯誤した甲斐あって、本番では大きな達成感を味わうことができました。また、この時、運営委員を務めた仲間と一つのことを作り上げる喜びを知りました。

その後、就職活動をする時も、仲間と何かを作り上げる楽しさを味わえる企業に勤めたい、という気持ちが強かったように思います。広告代理店の仕事は色々なクライアントと一緒になって、広告メッセージを伝えていくチャンスがあるため、多くの人から刺激を受け、関わり合いながら仕事ができるところに魅力を感じました。そんな広告代理店の中でも、OB・OG訪問をして一番一緒に仕事がしたい先輩が多かったのが、幸いにも今、勤務している電通という会社でした。

アメリカの広告代理店では広告キャンペーンの戦略を考えるマーケティングの専門会社、実際の広告表現を考えるクリエーティブ専門会社、どのようなメディアで広告を展開するかを考えるメディアプランニング会社、そしてそのメディアのバイイング専門会社などに役割が分かれています。しかし日本の広告代理店では、それらの工程を全て一手で請け負います。私は入社1年目はマーケティング部門で広告キャンペーンの戦略の立案や、コンセプト作りのベースとなる調査を行ったりした後、6年間営業部門で多業種に渡るクライアントの広告キャンペーンの企画から実施までの全工程に関わらせてもらいました。特に最終的に自分がチームの一員として関わった広告キャンペーンがクライアントから評価されただけでなく、世間で話題になった時は喜びもひとしおでした。2007年の出産を機に、メディア部門への異動を経て、現在は国際メディア部という、海外のメディア(Wall Street Journalなどの新聞やTIME、National Geographicといった雑誌やCNNなどの衛星メディア等)を取り扱う部署でメディアバイイングをしています。今の部署では日本国内で活かされている総合プランニング力を海外でも発揮できるように働きかけるのが私の目標です。また、更なるチャレンジになりますが、それと育児をしっかり両立させていくのも私の人生の中の大きな目標です。

私が今、皆さんに言えることは、大変な思いをして2つの学校に通ったことは無駄にはなっていない、と言うことです。頑張り抜いたことは私の大きな自信となり、私が今でも頑張ろうと思えるのは、いつの時も同じ境遇にいて苦労を分かち合え、尊敬し合える仲間が支えとなり、私のよい刺激となっていてくれるからではないかと思います。言語や教育の根っこにある歴史や文化的な背景を実生活で学べるのはまたとない機会です。是非その機会をものにして、将来につなげてみてください!

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