あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第二十七回 濱野崇 さん

卒業生・同窓生便りの第27回は、人材紹介会社インタープレース社勤務の濱野崇(たかし)さんからです。濱野さんはお父さんの仕事の関係で、日本の小学校を卒業後、ロサンゼルスに来られ、あさひ学園のパサデナ校に中1から中3まで通われました。米国に来た当初は、日本語での思考方法がある程度できていたためか、現地校の英語の勉強に大変苦労されたようです。また、あさひ学園には母国語を継続して学ぶことの必要性や母国語で話せる友達が得たいとの理由から通いました。しかし、あさひのある教師から、日本語と英語のどちらかを完璧にすることが大切との強い言葉を受け、現地の高校卒業後は、日本の早稲田大学商学部へ進学しました。大学卒業後、インタープレース社に就職、現在はロサンゼルスオフィスに勤務しています。在校生の皆さんには、今のようなグローバル化の時代に必要なのは、、文化・言語の深さを理解した専門的知識を持ったバイリンガルであり、そうした真のバイリンガルを目指して、頑張って欲しいことを伝えてきています。

真のバイリンガルを目指して

在校生の皆さん、初めまして。‘89年にあさひ学園パサデナ校中等部を卒業しました濱野 崇(たかし)です。卒業してから、はや20年近い時間が経とうとしているのですね。「光陰矢の如し」と言いますが、考えてみると生まれてからあさひ学園を卒業するまでよりも、もっと長い年月が経っている計算になります。あさひ学園での思い出の数々は、今でもつい昨日の出来事のように思えるので、とても不思議な気がします。今回の寄稿依頼をお受けして、久しぶりに当時の写真を引っ張り出してきて見てみましたが、目を覆いたくなる様な髪型や服装に顔から火が出そうになりました。恥ずかしいまでの過剰な自意識を持っていたことが写真の顔からも見てとれます。今振り返ると私にとっての思春期というのは、他人より秀でた特別な存在になりたいという「競争心」と、誰とでも仲良くしたいという「共存心」との間にある矛盾に悩んでいた時期だったような気がします。きっと今の在校生の中にも「友達よりも秀でていたい」という気持ちと、「友達に好かれたい」という気持ちの狭間で思い悩んでいる、当時の私のような人がいることでしょう。この矛盾に対する答えはありませんが、思い悩み、葛藤すること自体が、バランス感覚のある豊かな人間になるために大事なのだと思います。

私は12歳の時に父親の仕事の都合で渡米して来ました。アメリカへ来た当時は全く英語が分からず、現地校の授業についていくだけでとても大変でした。私のように日本で小学校を卒業してから渡米してきた人は同じ苦労をしてきていると思います。英語の授業だけでなく、例えば数学なども、問題そのものは難なく解けるのですが、それを英語で答えることができないので、全ての科目がそのまま英語の勉強になってしまうのでした。遊びたい盛りの年頃なのに、学校が終わってからも家で暗くなるまで勉強しなければならず、今思うととても辛い日々でした。そんな毎日の中、いずれ日本へ帰ることもあるのだから日本語も忘れないようにと、母親からあさひ学園へ通うことを勧められました。最初はこれ以上勉強するのはとても無理だと思ったのですが、自分の母国語である日本語で話せる友達が欲しいと思い、あさひ学園へ入学することに決めました。あさひ学園へ通っていたことで、今でも大変感謝していることを伝えたいと思います。私があさひ学園に在学していた当時、吉冨先生という怒るととても怖い先生がいらっしゃいました。ある朝のホームルームで、先生は唐突にこう言い放ちました。「どうもお前達の話している言葉を聴いていると、勘違いしているのではないか、という気持ちになる。いいか、お前たちは英語も日本語も両方とも喋れると思っているようだが、俺に言わせればお前たちはまだまだ英語も日本語も、どちらもろくに喋れないんだぞ。」 私達は普段から、あえて英語と日本語を混ぜて話し、両方の言葉や文化を知っている優越感にそれとなく浸るようなところがありました。そんな私達でしたが、先生の一言の真実味に一瞬カナヅチで頭を叩かれたような衝撃を受けました。「そう言えばその通りだな。」というのが私の率直な気持ちでした。周りの友達も、痛いところを衝かれた、というような顔をしていたのを覚えています。英語もアメリカ人ほど話せない。日本語も日本人ほど話せない。その時から自分は一体何人なのだろうという私のアイデンティー探しの旅が始まりました。その直後に先生が言った言葉もまた忘れられません。「今英語の方が得意な人間は、英語を100%理解し、アメリカの歴史、文化を勉強し、立派なアメリカ人になれるように努力しろ。今日本語の方が得意な者は、日本の文化を良く勉強し立派な日本人になれ。とにかく、どちらかを100%理解した上でのバイリンガルでないと、お前たちは将来どこへ行っても中途半端な役立たつになるぞ。」今考えるととても大胆な進路指導ですね(笑) 私は半生の中で幾つもの間違った進路選択をしてきましたが、日本の大学へ進学したことだけは、卒業して10年以上経つ今でも非常に良い選択をしたと自負しています。私にとっては一度日本へ戻り、まず「立派な日本人になる」ということが真のバイリンガルになる過程において必要だったのです。日本での大学生活、その後の社会人生活を通じて、ある程度日本人としての素養に自信が持てるようになりました。日本での生活が長くなるにつれて、どうしても英語の力は落ちていってしまいましたが、それでも以前のように、どちらの言葉・文化とも中途半端なままにならなくて良かったと思っています。現在私は真のバイリンガルを目指し、もう一度英語及びアメリカの文化について勉強しています。在校生の皆さんはどうでしょうか? 今どちらかなら100%理解出来ている、という自信はありますか?

現在私は「INTERPLACE」という人材紹介会社に勤めています。仕事を探して連絡してこられる沢山の方達と話をします。毎日、数十人の方と話す中で、一日の終わりに記憶に残る方は残念ながらほんの3,4人です。この仕事を通じて気付いたことは、優秀な方には共通して二つのスキルがある、という事です。一つ目は「高度な専門的知識」です。今までの仕事、人生経験を通じてどれだけの専門的知識を身に付けてきたのか。そしてもう一つはその知識を相手に理解してもらうための「説明力」です。つまり中身と伝達方法ですね。この二つの能力を身に付けるために一番重要なツールが言葉だと思っています。言葉を深く理解していないと物事を深く理解することが出来ないので、専門的知識を身につけることはほとんど不可能です。また、ITやエンジニアリング関連などの特殊分野で、せっかくある程度の専門的知識を身につけてきているのに、その内容についてしっかりと説明できない方が多くいます。 これでは、宝の持ち腐れです。どのような知識を持っているのか説明出来なくては、当然、その知識を必要としている企業を紹介することはできません。経済のグローバル化が進むにつれ、人材のグローバル化も随分進みました。バイリンガルは世に溢れ、決して特別な価値のある人材ではなくなってきている、という意見もあります。しかし本当にそうでしょうか? 私にはそうは思えません。 バイリンガルと呼ばれる人材が増えた今日こそ、文化・言語の深い理解をベースに専門的知識を身につけてきたバイリンガルと、中途半端なバイリンガルとが区別される時代に入ってきたと感じています。在校生の皆さんは、今、多感なこの時期に日本語を勉強できる環境があることをチャンスだと捉えて下さい。何故なら、言葉は若いうちほど効率よく勉強出来るからです。確かに、現地校とあさひ学園の両立は本当に大変です。私も何度も辞めたいと思ったことがありますが、今はあさひ学園に通っていたことにとても感謝しています。 在校生の皆さんが10年後、20年後に、あさひ学園に通っていたことを感謝できるように卒業生の一人として心から願い、応援しています。

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