あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第二十三回 柴土真季 さん

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卒業生・同窓生便りの第23回は、三菱東京UFJ銀行勤務の柴土真季さんからです。あさひ学園にはバージル校で小1年、パサデナ校で小2と中2-3を過ごされました。2回に渡る米国での経験はあさひと現地校で2ヶ国語や日米の文化を学ぶだけでなく、未知の世界への憧れと人生で常にすべきことを問いかける価値観をを育てられたようです。そうした知的好奇心が、最初は慶応大学の法学部でグローバル化の社会現象を知るべく、国際政治学や社会学を学び、卒業後は、米国の戦後美術を研究すべく、再度文学部へ学士入学し、米国の戦後美術を研究することになりました。また、社会に出られてからも、最初は発展途上国の政府・企業・人を相手にする保健医療分野の仕事に従事した後、その時の経験を踏まえ、米国の二つの大学院(Georgetown University Law CenterとColumbia University School of International and Public Affairs)で「開発と法」について学ぶことになりました。現在は三菱東京UFJ銀行で、発展途上国の企業を相手とする貿易金融業務を担当されています。あさひの生徒の皆さんには、複数の文化や異なる環境での経験を通じて、問題意識を常に持ちながら、前に進んでいくことの大切さを伝えてきています。

あなたの心を駆り立てるものがあるなら、それを追いかけなさい

カリフォルニア州を東に進みネバダ州やアリゾナ州へと抜けると、岩石と砂だらけの大地が広がっています。同じ乾いた土地ながらも、青い空と海、多様な人種・民族でごったがえす色鮮やかなロスアンゼルスの街とは異なる風景です。実は、私の世界観の基点は、幼少期から頻繁に訪れていたこの地にあります。岩と砂だけの大地に小さな身体を置くと、地平線の向こうに向かってみたいという衝動と、自分自身がこの世界で何ができることは何かという、内への問いが生まれていました。そんな問題意識を持っていた私が、高校卒業後は大学、さらには大学院で国際社会学・政治学を中心に学び、途中いくつか回り道をしながらも、途上国を相手とする仕事に就く選択をしたのは自然なことでした。

あさひ学園の生活

私は、ロスアンゼルスには日本と行き来しながら計8年間在住し、あさひ学園にはバージル校(小1)とパサデナ校(小2、中2-3)に通いました。小学生の頃は日本語が苦手で、宿題の絵日記もほとんど書けないという経験をしましたが、日本の小学生と同じ教科書や漢字・算数のドリルを使っていたからでしょう、小2でいったん日本に帰国したときも日本の小学校での勉強にすぐに馴染むことができました。あさひ学園での楽しい想い出といえば、運動会や日本語の図書を入手できたバザー等でしょうか。思えば、中学生のときは絵を描くのが好きだったので、文集や運動会のプログラムの表紙やらイラストを書くこともありました。当時のクラスメイトたちは高校卒業後、同じ大学に進学したり似たような業界に就職するケースが多く、いまも着かず離れずの良い付き合いをしています。いつも驚かされるのが、あさひ学園の卒業生が世界各地にいることで、大学院や勤務先など行く先々で昔の仲間にばったり…ということもしばしば。このように、過去・現在・未来とが長い付き合いが続くのが、あさひの仲間たちの特徴だと思います。

大学進学

高校(現地校)では好きな美術や理系科目ばかり履修していた私ですが、高校卒業・大学進学を目前にすると、冒頭に書いた思いからも自分自身の境遇を生かした仕事がしたいと思い、東京の私立大学で政治学を学ぶ選択をしました。当時はEUが始動し、ハンチントンの『文明の衝突』が発表されるなど地域共同体ブームの頃で、まだglobalizationという言葉はありませんでした。しかし、世界各地で共通して解決されるべき課題がある、という気持ちをもとに、大学のゼミではあらゆるグローバルな問題について学んでいたことを思い出します。私が進学した大学は海外に高等課程があったりAO入試を行っているため帰国子女の割合が高く、久しぶりの日本の学校でも違和感なく学生生活を過ごすことができたように思います。学外では1994年の横浜エイズ会議をはじめとする国際会議や外資企業イベントのアルバイトに就いていましたが、現在につながる多くの出会いを生み、とても良い思い出です。法学部卒業後は同じ大学の文学部に学士入学し、アメリカの戦後美術を研究しました。ポストモダニズム、さらにはポスト・ポストモダニズムが叫ばれていた時代で、ふとすると社会派の現代アートにのめりこむ自分自身を見つめて、私はやはり人・社会とかかわる仕事をしたいのだという思いを強くし、就職活動中に出会った保健医療分野の途上国開発の仕事に就くことにしました。

途上国開発の仕事

私は一貫して途上国の人・政府・団体や企業を相手とする仕事に就いてきました。最初の就職先では、結核対策の海外支援を行う恩賜財団に就職しました。職務内容は、日本政府が世界各国で支援する感染症対策の応援や、アジア3カ国の結核治療改善プロジェクトの運営・モニタリング・評価など。とくに後者は、ネパール・インドネシアの現地NGOやミャンマー保健省と協力して世界保健機関(WHO)が推奨する効果的な治療法をいくつかの保健所に根付かせる業務でしたが、飛行機を乗り継いで現場に赴きカウンターパートと共に解決策を考えるという仕事は難しいながらも、成果が患者の「治癒率」と明確化されるためやりがいがあり大変楽しいものでした。

そんな中、担当していたネパールのプロジェクトで問題意識を揺さぶられる出来事がありました。支援していたインド国境に近い保健所の患者が結核治療を脱落し死亡したのです。家族にスタッフがインタビューしたところ、この女性はインドでの売春経験がありHIV感染が疑われていたが、売春を再開するために結核治療を放棄しインドに戻ったとのことでした。

私は目を見開かされる思いで地元スタッフにこのような売春や人身取引がかかわるケースについて聞き対応を考えたものの、医療プロジェクト内での取り扱いや支援はかないませんでした。開発のプロフェッショナルとして力が及ばなかった経験が心にひっかかり「開発と法」について学ぶため大学院への進学を決めました。一年間、JETROアジア経済研究所開発スクールで研修を受けた後、ワシントンDCのGeorgetown University Law Centerでは国際人権法を、ニューヨークのColumbia University School of International and Public Affairsでは経済・政治開発を中心に学びました。

また、大学院在籍中は実にさまざまな機関・団体でインターンを行いました。人権分野ではUNICEFタイ事務所にてChild Protectionの部署で津波被害地住民の心理社会的(psychosocial)リハビリテーションとタイ・カンボジア間の人身取引対策業務、ワシントンDCのNGOで東欧における草の根ベースでの人身取引ネットワークづくり、さらにはザンビアのNGOで、パラリーガルを用いた村単位の紛争解決制度づくりに携わりました。この作業は大学院生チーム6名でNGOのコンサルタントとして行ったものでしたが、村民や酋長との会話から発されるニーズとは社会サービスはもちろんのこと経済的なエンパワーメントの必要性でした。そこで大学院ではマイクロファイナンスの学生クラブに参加すると共に、昨夏はニューヨークに本部を置くWomen’s World Bankingというマイクロファイナンス機関に勤務し日本の金融機関やメディアに対し途上国での共同マーケティングや人材育成プロジェクトの提案を行いました。インターンの他にはさまざまなネットワーキングの機会にも積極的に参加し、今も開発・人権・平和構築分野のグローバルな問題を扱う「場」を提供するネットワーク、国連フォーラム(http://www.unforum.org/)のお手伝いをしています。

そして今

現在は、日本の都市銀行の投資銀行部門で途上国企業を相手としたトレードファイナンス業務に就き、主に現地企業との資源取引や日本企業の輸出入取引にかかる融資を担当しています。途上国に対し、今度は民間企業からの視点で取り組むのは非常に興味深い作業です。よく「何故銀行に?」と聞かれるのですが、今あえて民間企業を選んでいるのにはいくつかの理由があります。まずはアフリカやアジアの現場に赴いた際、感染症や人権の議論をはじめても、必ずといっていいほど住民からつきつけられる「どんな社会的なプログラムがあったとしても、今日食べるためにはお金が必要なの。あなたは今この場でその手立てを提案してくれるのか」という、厳しくも甘くもとれる質問。そして、現在の開発の枠組みでは繰り返されがちな援助額増額と使途のアカウンタビリティの議論。このことから、途上国におけるビジネス、それも投融資で大きな役割を果たす金融機関を選択したのは自然なことでした。企業・開発・人権のバランスはどのように調和をとるべきか、という関心意識が強い今、今後は資源やインフラ案件のプロジェクトファイナンス業務に就きたいと金融業界での夢を膨らませているところです。

おわりに・在校生のみなさまへ

私の経歴は「典型的」な社会人のそれとは異なるものかも知れません。10代の頃に漠然と思い描いていた20代や30代の自分自身とは、スーツ姿でさっそうと都会の高層ビルのオフィスに向かう姿でしたが、いざ仕事に就いてみると、裸足にゴムサンダルでアジア農村部の保健所を廻ったり、南部アフリカの強い日差しのもと、マンゴーの木の下で車座になって村民にインタビューをする私がいました。単なるデスクワークからでは決して窺い知ることのできない、肌で感じる現場の人々の反応。このような開発の仕事に喜びを感じるのは、中西部にただただ広がる地平線の向こうに思いを馳せ、また知的好奇心や自分の内で進化する問題意識に素直に従ってきたからでしょう!

最後に、この便りのタイトルである 「あなたの心を駆り立てるものがあるなら、それを追いかけなさい」 とは、ボディ・ショップ創業者のアニータ・ロドリックの言葉です。私が世界のどこかで私が次のステップを思い描くとき、いつも脳裏に浮かばせるのは、視界が開けたアメリカ西部の乾いた大地で自分の思考を解き放つ私自身の姿です。複数の文化、そして異なる環境に身を置く訓練をしてきた皆さんには、あさひ学園に通う今も、そして卒業後においても、ぜひ問題意識の進化を恐れず前進していただきたいと強く思います。

(以上)

Profile

慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、文学部哲学科美学美術史学専攻に学士入学・卒業。卒業後は財団法人結核予防会国際部にて、結核対策の海外支援に従事(ネパール・インドネシア・ミャンマーの現地NGOや保健省との共同プロジェクト運営、外務省による感染症対策評価等)。その後、JETROアジア経済研究所開発スクール(IDEAS)研修を経てGeorgetown University Law Center, Columbia University School of International and Public Affairsに進学、開発と法を学ぶ。この間、UNICEFタイ事務所、国際人身取引に取り組むNGO、ザンビアの人権NGO、マイクロファイナンス機関、大手メディアカンパニー等で働く。2008年3月より三菱東京UFJ銀行ストラクチャードファイナンス部で途上国向けECA(Export Credit Agency)及びトレードファイナンス業務に従事。

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