あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第十五回 雨宮 尚実 さん

卒業生・同窓生便りの第15回は、ドイツ証券の雨宮(旧姓は坂東)尚実さんからです。あさひ学園には、パサデナ校で小学4年生から中学3年生まで過ごされました。渡米当時は英語が全く話せず、現地校での生活も楽しくなかったようですが、あさひで言葉や文化が理解しあえる友達との時間が貴重なものとなりました。しかし、中学部ではアメリカ的なことをしたいとの希望から、マーチングバンド部に入り、有名なパサデナのローズパレードにも参加しました。現地の高校を卒業後、英語力を生かしたいとの強い希望から学習院大学英米文学科に進学、授業だけでなく、サークル活動やホテルでのアルバイトを通じて 英語力を維持・向上させました。大学卒業後、米系の証券会社やインターネットの会社に勤務し、現在はドイツ証券で株式関連の仕事に従事されています。仕事では、語学だけでなく、異文化の同僚達を理解する考え方の柔軟性が重要となっているようです。在校生の皆さんへは、海外で生活できていることを利点として、色々なことに積極的にチャレンジして欲しいことを伝えてきています。

将来に繋がる貴重な経験と出会い

私がアメリカ ロサンゼルスに父の転勤に伴い、住み始めたのは小学校4年生の1983年から1991年に高校を卒業するまでの約8年間でした。小学校4年生の時にアメリカに行くと親に言われても、どういった国なのか、語学以外日本と何が違うのかなんて理解しているわけもなく、ただ小学校の友達とお別れをし、異国の地へいかなくては行かないという不安だけでした。そして、その頃は、アメリカで感じたこと、学んだことが、現在の私の基礎になるとは全く思ってもいませんでした。

現地校と日本人学校

渡米当時はもちろん全く英語が話せず、初めて通った現地校には、片言の日本語を話せる日系人の男の子が同級生で1人だけでした。先生や同級生から何か言われても、何を言っているのかも全くわからず、ただただ時間が過ぎていく毎日でした。質問をされ、“YES”か“NO”をはっきり言うことにも慣れていなくて、“どちらでもいい”と答えて誤解を招いてしまったこともありました。

そんな平日を過ごしていた私にとって、土曜日にあさひ学園のパサデナ校で過ごす1日は、言葉も通じ、理解できる友人達と楽しく過ごせる時間でもありました。アメリカにいながら受けた日本語の授業、個性あふれる先生方、色々なバックグラウンドを持つ友人達、色々な変化に富んだ、とっても刺激の多い場所だったと思います。

中学に入ったと同時にアメリカらしいことをしたく、マーチングバンド部に所属し、フルートをやっていました。平日に練習が日々入り、シーズン中は土曜日に大会があったため、あさひ学園を休むこともありました。週1日の補習授業校は、1週間分の授業が1日で行われるようなペースだったため、1日休むと2週間分ぐらいの遅れがでてしまい、辛かったこともありました。しかし、マーチングバンドをしたり、パサデナのローズパレードに出ることは自分がやりたかったことだったし、あさひ学園での授業や友人達と会うことが楽しかったため、乗り切れたような気がします。

日本に帰国後

中学校を卒業した後はあさひ学園の高校には進まず、週末に塾のほうへ通っていました。

私が高校を卒業する前に母以外の家族は日本に帰国していたため、自然と高校を卒業すると同時にアメリカの大学へ進学するのはなく、日本の大学に進学することに決めました。帰国子女枠で大学受験をし、学習院大学文学部英米文学科へ入学しました。帰国当時、自分が日本という社会から何年も離れていたため、大学でやっていけるのか不安でしたが、入学当初から今でも仲良くしている友人達は同じく帰国子女で、自分と同じ価値観を持っていたりする人が多かったため、いつしかそんな不安もなくなりました。また、帰国後は、いかに自分の英語力を維持するかにも注意を払いました。せっかく約8年間の海外生活で英語も話せるようになり、貴重な体験をさせてもらったので、それをどうしても維持したかったのです。英米文学科を選んだ理由もその一つでした。そのため、大学のサークルの先輩に英会話を教えたり、大学在学中の4年間はホテルでベルガールのアルバイトをして積極的に外国からのお客様と接したりもしました。ホテルで働くことにより、また新たに文化の違いや言葉の違いなどに触れたり、今まであまり使い慣れていなかった敬語も勉強することができました。

そして現在

大学卒業後、米系の証券会社に新入社員として入社しました。入社当初は債券部のAdministrationに所属となり、出張の手配から営業手数料の管理等の業務を担当していましたが、1年もしないうちに外国債券の営業アシスタントの業務へ移動となりました。

4年程アシスタントとして働いた後、自分に何ができるのか。一度違う業界で自分を試してみたいという思いから、友人の紹介で、社長を含め数人のアメリカ人が働いていた、当時流行のインターネットのベンチャー企業に勤めました。その会社では人数も少なかったことから、営業、広報、マーケティングの仕事に携わることになり、色々と自分を試す面白さがありました。ただ、1年働いてみて、やはり自分が自信をもってできるのは金融業界でのサポート業務ではないかと感じ、現在勤めている欧州系証券会社に転職しました。今は株式関連の業務に携わっており、7年目に入りました。現職についてからは色々とチャレンジさせてもらっており、語学力のお陰で重宝されています。日々の業務の上にプロジェクトにも参加し、ニューヨークやロンドンと電話会議をしたり、私のいる部署では珍しくニューヨークへRelationship作りに出張させてもらったりもしました。また、去年はインドに業務を委託することになり、実際に日本語を話さない現地の人達に業務を教えるためにムンバイに行ったりするなど、充実した会社生活を過ごしています。

あさひ学園と現地校を両立させる生活を過ごしたことによって、語学はもちろんのこと、早いうちから異文化に触れたことで、柔軟性や順応性が自然と身についていったような気がします。学生の時は、旅行の際に便利だとしか思わなかったようなことが、今はいかに貴重だったかということに気づかされています。きっと自分に語学力や柔軟性がなければ、海外オフィスの同僚達を理解するのにもっと苦労したと思いますし、価値観を彼らがわかるように説明してあげられなかったと思います。今の自分の語学力が維持できているからこそ、誤解もなく、交渉したり、うまくRelationship作りができたりしているのだと思っています。

在校生や日本帰国を目前としている皆様へ

語学力を維持していくことは、一度日本に帰国後、使わない環境におかれれば難しいかもしれませんが、維持する方法はいくらでもありますし、必ず自分へのステップアップやキャリアに繋がると思います。また、海外滞在期間が浅くても長くても、その時に経験したり壁にぶち当たったりしたことは決して無駄になることはないと思います。何事も努力と経験です。海外で生活させてもらえていることを大きな利点と考え、是非色々なことにチャレンジしていただきたいと思います。

私にとってあさひ学園は色々な思い出を作ってくれた場所であり、一生付き合う友人達に出会えた大切な場所です。今でも年に数回会っていますし、結婚したり父・母親になったりしていますが家族ぐるみで仲良くさせてもらっています。 また、社会人になるまでは強く意識していませんでしたが、自分がアメリカで恵まれた生活ができたことを、両親にとても感謝しています。

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