あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第十一回 加藤 明子さん

卒業生・同窓生便りの第11回は、ビザ・インターナショナルの加藤明子さんからです。あさひには、お父さんの転勤で小学2年から小学5年生まで過ごされました。あさひでの楽しみは、図書室から借りてくる本を読むことにあったようで、それが国語の読解力と漢字力の強さになりました。高校はお父さんの再度の転勤で、ニューヨークにある現地校を卒業、大学は日本の上智大学(主専攻が教育学科で、副専攻が国際関係論)に進学されました。また、在学中は交換留学制度を使い、念願の米国での大学生活も経験しました。大学卒業後は、製造業の勤務をした後、専門領域を持ちたいとの願望から広告代理店に転職、広報を通じたコミュニケーションスキルを磨かれました。現在は、国際的なカードビジネス会社であるビザ・インターナショナルの東京オフィスで広報担当マネジャーをされています。社会に出た後、日英の言語を使用し、異文化のビジネス環境で仕事をされてきた経緯から、在校生の皆さんへ、あさひと現地校の二つの学校で学べる機会を生かし、積極的に取り組んでもらいたいことを伝えてきています。

コミュニケーションスキルの基礎を築く

父の転勤に伴いロスに住み、あさひ学園に通っていたのは、小学校2年生から5年生の終わりまででした。その頃、私の母の口癖は、「世のため、人のためになりなさい」でした。そして、この言葉がこれまで私の進路や就職など選択の基準となってきました。残念ながら未だに「世のため、人のため」になっている気はしませんが、何か迷った時に振り返れる心の軸があるのは、私自身にとって大きな助けとなっています。

あさひ学園の思い出

あさひ学園での生活を振り返ると、現地校での英語の授業についていくことや人種差別などで苦労するなか、日本語で、日本人の友人と集うことができる、一週間で一番楽しみな日であったことが真っ先に思い出されます。一方、金曜日夜に片付ける宿題は泣きながら・・・ということも、今となっては良い思い出です。同窓生に会うと、みな異口同音に同じことを言います。

あさひ学園に通う、もうひとつの楽しみは、毎週図書館から借りてくる本でした。週に3冊借りることができたように記憶しています。毎週必ず土曜日に3冊ずつ借りて、翌日には読み終わっていました。きっかけは、小学校2年生で課せられた読書感想文の宿題だったと記憶しています。現地校で課せられる読書がわからない単語が多すぎて苦痛なのに比べ、日本語ではすらすら読めることが嬉しく、読書が大好きになりました。私の国語の読解力と漢字力は、この時の読書感想文とあさひ学園が提供してくれた無数の本によって身についたと感謝しています。

高校時代、再び父の転勤で渡米したニューヨークでは補習校に通いませんでしたが、ロス時代と同じように一冊でも多く日本語の本を読むことで国語力を維持できたと思っています。

進路の選択

ニューヨークの現地校を卒業後は、米国の大学進学を願っていましたが、反対する父を説得できず、日本に帰国し上智大学に進学しました。大学での主専攻は、何か人の役に立つことができるかもしれない、と教育学科に決め、また英語力の維持を狙って、副専攻に国際関係論を選択しました。上智大学では英語で行なわれる授業も数多く提供されているほか、交換留学制度も整っていましたので、在学中は念願だった米国の大学生活も1年間経験することができました。米国の学生が寝る間も惜しんで勉学に勤しんでいることを知り、共に学ぶ機会があったことは、社会に出てから米国の大学出身者と共通の話題作りに一役買っています。

仕事と英語力

社会に出るときにも、「世のため、人のため」となりたいと考えながら就職先を探しましたが、経験もスキルも持たずして役に立つことはないという現実を思い知り、まずは海外との接点が多い製造業に就職しました。そこでは貿易事務や営業管理などを担当しておりましたが、バイリンガルであるという以外に一つ専門領域を持ちたい、と引き続き悩んでいた際に広報代理店、いわゆるPR会社の存在を知りました。国際的に活躍されている方々の著書などを読むにつれて、どんな職務の場合にもコミュニケーション力が問われていると感じていたため、コミュニケーションスキルを磨くと同時にその道のプロである広報という仕事に魅力を感じ、転職しました。PR会社では、外国の政府や企業が日本で広報活動を展開する際のサービスを提供することを通じて、広報のプロフェッショナルとしての経験を積むことができました。コミュニケーションをサービスとするため、高度な英語力を必要とされましたが、米国に住み、学んだ経験が役立ちました。3年間勤務した後、現在は、VISAカードとして知られているカードブランドのビザ・インターナショナルの東京オフィスにて広報を担当しています。

広報とは、主に会社や会社の商品について社内外に発信する仕事です。常に市場のニーズやトレンドを踏まえつつ、適切なタイミングで、適切な相手に、適切なメッセージを伝えることを使命としています。現在は、VISAというブランドをより深く正確に理解して頂くため、新聞や雑誌などの記者の方々と築く関係や日頃の情報提供を大切にしています。業務の中でも特にチャレンジングなのは、クライシス時、つまり事件や事故が起きた際のコミュニケーションです。平時であれば、熟考した上で実地に落とすことができますが、クライシス時は利害関係者に向けてどのように情報を発信するか、検討し、即座に判断し行動することが求められます。グローバル化や情報伝達の手段が多様化する中、企業にとってはクライシス時の対応が企業の存続に関わるため、非常に神経を使います。外資系企業に勤めていると、クライシス時の対応ガイドラインは本社から英語で飛んできます。即座に日本の関係者に伝達するためには、時間の制約のある中、的確な日本語に訳すことが課せられるため、意訳する力や国語力も問われる仕事と言えます。

その他、ビザ・インターナショナルにおいては、アジア太平洋地域のヘッドオフィスがシンガポールにあり、日本で立案遂行する業務の多くを異なるビジネス環境にいる人々に対して英語で説明する必要があります。また、外国人の代表のスピーチ原稿を書いたりと、英語力が問われることが多く、日英共にブラッシュアップに努める日々で向上心が尽きることがありません。

最後に

2つの学校に通うこと。宿題が2倍課せられること。後から振り返ると、小学生の時分に大変だったと思います。しかし、そのお陰でバイリンガル、マルチカルチャーの基礎を身につけることができました。日本語と英語の違いを理解することは、そのまま異文化を受容することにもつながります。社会人になり、どんな場面でも相手の立場やバックグラウンドを理解しつつ、日英両方の言語を駆使してコミュニケーションを図ることを可能にしてくれたのは、米国での生活とあさひ学園の存在であったと感謝の念に堪えません。

このように文章にしてまとめると気恥ずかしいですが、転勤で米国での生活を経験させてくれた父、そして心の軸を授けてくれた母があっての今の私です。私の中では、あさひ学園の思い出は、そのまま家族の思い出に重なっています。今後もコミュニケーションのスキルを生かして「世のため、人のため」になれるよう、研鑽を重ねたいと思っています。

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