あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第八回 今泉 欣也さん

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卒業生・同窓生便りの第八回は、神戸新聞の今泉欣也さんからです。ご家族の関係で、あさひには中学1年から3年まで通われ、サンタモニカ校とパサデナ校を経験しました。両校に通う生徒の目的意識の違いにもかかわらず、現地校と補習校で英語と日本語の二つの言語を学ぶことの苦しさと同時に、同じ体験をしている友人との付き合いが励みになったようです。高2で日本に帰国、大学は神戸市外国語大学国際関係学科に進学しました。在学中、元新聞記者の教授2人から、物事の多角的な捉え方やわかりやすい文章の書き方を学び、そのことが新聞記者になる強い動機になりました。あさひの在校生の皆さんには、世界のボーダーレス化、グローバル化の中で、異文化体験やバイリンガルになることの重要性と同じ体験を持った友人達との繋がりの大切さを伝えてきています。

我が母校 あさひ

早いもので、帰国から16年の月日が流れました。高校、大学を何とか無事に卒業し、念願だったマスコミの仕事に就いて丸8年。週末なんて関係ない多忙な毎日ですが、原稿に行き詰まったり取材で壁にぶち当たったときは、よくカリフォルニアの真っ青な空を思い出し、煮えたぎる脳みそをリフレッシュしています。ロスで暮らした3年間はあっという間でしたが、人生を大きく変える貴重な経験ばかりでした。そしてその経験は、あさひ学園での日々なくしては語れません。この便りが在校生やご家族にとって少しでも参考になればと願い、自身のこれまでを振り返ってみたいと思います。

補習校から母校に

僕の家族は2度に分けての駐在だったため、あさひも中学1年はサンタモニカ校、3年はパサデナ校に通いました。サンタモニカ校では転入クラスに長期在住者が多く、日本の中学校との違いに驚きました。あまりまじめに授業を受ける雰囲気ではなく、当初は「こんなんでいいのかな」と不安すら覚えました。しかしその後、普段は遠く離れた街に暮らし、会うことすら難しい環境下において、週1回という限られた時間でも共に学び、遊ぶ機会があるのは幸せなことだと気付きました。実際、僕の通う現地校も日本人はあさひの同級生1人しかおらず、慣れない英語で日々たまるストレスをはき出す絶好の場となりました。仲間にも恵まれ、記憶にあるのは休み時間と放課後ばかり。7カ月という短い期間でしたが、違和感なく日本の中学に復帰できたのはサンタモニカ校のおかげかなと思います。一方、駐在組が中心のパサデナ校は同じ現地校に通う顔見知りも多く、日本の中学に行くような感覚でした。週1回の授業ではとても日本の勉強に追いつかず、将来の帰国に備えて塾にも通いましたが、どの教科の先生も限られた時間の中で熱心に教えてくださいました。卒業式の日、新調したスーツ姿で卒業証書を受け取ったとき、あさひは僕にとって補習校ではなく「母校」になりました。

海外経験を生かす

高校2年の夏に帰国し、1浪の末、神戸市外国語大学国際関係学科に進学しました。枠にとらわれない自由な雰囲気と徹底した語学教育が、海外経験を学問に生かしたい僕の希望と一致したからです。在学中は国際政治を専攻。ワシントン支局長を務めた元新聞記者の教授2人から、物事の多角的なとらえ方や、分かりやすい文章の書き方を学びました。くしくも今、2人と同じ道を歩んでいるのは、当時の教えが多分に影響しているのでしょう。大学ではまた、ロンドンに1年間留学しましたが、ここでもロスの経験が生きました。不自由なく日常生活や授業に溶け込め、たくさんの親友ができました。ただ、一国の中に異なる言語と文化が共存するアメリカと違い、それぞれが一国として共存するヨーロッパでは、自国のアイデンティティーに対する意識がより強かった印象があります。日本の歴史や文化についても、もっと勉強しておけばと後悔することがしばしばでした。

新聞記者として

僕が勤める神戸新聞社は、兵庫県内で発行されている地方紙です。現在、神戸近郊の加古川市にある東播支社で、主に行政を担当しています。加古川といえば、皆さんもご存じの元メジャーリーガー長谷川滋利や、藤原紀香と結婚したお笑いタレント陣内智則の出身地。安倍晋三首相も政治家になる前、サラリーマン時代にこのまちで暮らしました。読売、朝日といった全国紙と違い、地域密着の紙面づくりに力を入れ、取材範囲は教育、環境、文化、スポーツ、経済、福祉…と多岐にわたります。

記者になった理由はいろいろありますが、大きく分けて2つあります。1つは、誰よりも早く情報を知り、現場に行き、時の人に出会うことができるからです。それらがかなったときの喜びや達成感は、長い間積み重ねてきたすべての苦労や疲れを一瞬に吹っ飛ばしてくれます。だからこそ、たとえ1カ月休みなしでも、1日3時間の睡眠でも頑張れるのです。もう1つは、日本人(社会)の外国人に対する見方を変えたかったからです。きっかけはロスの現地校での出来事。クラスメートが僕を呼ぶ表現が、中国人を軽べつする意味だったのです。もし、僕が中国人ならどう思っただろう。そう考えたら無性に腹が立ち、殴り合いのけんかになりました。もちろん日本ではこんな経験ありません。そういう意味で、外国人として暮らす経験はこの上なく貴重でした。神戸は2005年現在、119カ国約4万4千人の外国人が暮らす国際都市。「神戸から日本を変えてやりたい」。今回の執筆を機に、再びそんな思いを強くしました。

神戸といえば、阪神・淡路大震災についても触れておかなくてはなりません。1995年1月17日。夜明け前の激しい揺れが、6400人を超える尊い命を奪いました。その後、街は驚くほどのスピードで再建され、高層ビルが乱立する繁華街を見ると、大地震があったことなど全く想像がつきません。しかし現実は、下町の住宅地に一歩入ると空き地が残り、県内外に避難した多くの人が、いまだ住み慣れた地域への復帰を果たせずにいるのです。今年で13回忌を迎え、震災自体の風化が懸念される中、被災地の現状、被災者の声を伝え続け、震災を語り継ぐことが地元メディアの僕たちに課せられた使命でもあります。

最後に

現地校に平日通い、本来休みであるはずの土曜にあさひで勉強すること、させることにそれほど価値観を見いだせない在学生や保護者は、在住期間が長い人ほど少なくないでしょう。僕も一時期そうでした。しかし世界はボーダーレス化、グローバル化がどんどん加速しています。今後、異なる文化を理解し、異なる言語を話せることが、今以上に大きな武器となるのは間違いありません。皆さんは幸運なことに、それが自然と身に付く環境に暮らしています。あとは、日本語を磨き、日本の文化を学ぶだけ。あさひではそれができます。どうかめんどうくさがらず、頑張ってください。  もう1つ、僕があさひで得た宝物は友人です。昨秋、東京で初めて同窓会を開きました。平日にもかかわらず、遠くはロスから計13人が集まり、時間を忘れて懐かしい思い出や近況を語り合いました。皆海外での経験を糧に、それぞれの分野で中心的存在として活躍。以来、互いに連絡を取り合ったりして旧交を温めています。あさひに行っていなければ、一生出会えなかったかも知れない大切な存在。在校生の皆さんには、そのチャンスがあるのです。

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