あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第五回 沢登 治さん

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卒業生・同窓生便りの第五回は、トヨタの沢登 治さんからです。あさひには、小学部から中学部まで9年間通われ、中学部時代は現地校と好きなサッカーに忙しく、あさひでの日本語の勉強に悩んだ日々を過ごしたようです。しかし、日本語ができることによる将来の可能性や日本人として日本語を学ぶことの重要性について、ご両親が語ってくれた言葉から、日本語の勉強を続けました。中学卒業後は現地の高校や大学(UC Berkeleyの機械工学部)へ進学、大学卒業後は、日本語力も必要とされる日本のトヨタ本社に就職しました。現在は海外サービス地区担当部に属し、2006年1年間はベルギーのヨーロッパ本社に出向しました。以下は、グローバル化時代の流れの中で、新たな挑戦をして欲しいと言う沢登さんからの在校生に対する励ましのメッセージです。

グローバル化時代に生きる挑戦を!

現役あさひ学園生と御父兄の皆さん、こんにちは。 パサデナ校‘96年卒の沢登 治です。

僕は現在トヨタ自動車の海外サービス地区担当部という部署で、海外のサービス体制やオペレーションを見直し・改善する仕事を担当しています。 尚、2006年の1月から1年間、大きなプロジェクトを欧州へと展開する為にベルギーのヨーロッパ本社に出向で来てます。 入社3年目25歳という若さで海外に出されたのは、19年にも渡るアメリカ生活で培った海外経験、日本語と英語の両立と専門知識の三つの要素が大きく貢献していると自負しております。 北米、日本、欧州と3大陸にも渡るインターナショナルなキャリアの背景とあさひ学園の絡みをこれから説明したいと思います。

生い立ち

僕は東京の目黒区で生まれ、3歳の時に父の仕事の都合で渡米しました。 保育園からロスの現地校に通い、小学校に上がると共にあさひ学園パサデナ校に入学しました。 家庭でも日本語を話していましたが、本格的に日本語と英語のバイリンガル教育が始まったのはこの時からです。

現地校とあさひ学園に通い初めて1・2年経つ頃、父はアメリカの企業に転職し、沢登一家はアメリカに永住する事になりました。 小学校入学と共にあさひ学園との両立を行っていたため、「これが普通なんだ」と特に不満も抱かず二ヶ国語を勉強し続けました。

補習校の負荷

小学4年生の頃、僕はあさひ学園が負担だと初めて感じるようになりました。 今までお遊びだったサッカーを本格的にやるようになり、練習は週二回あるうえ試合が主に土曜日に行われたのであさひの宿題と授業は非常に大きな負担に思えてきたのです。 中学に進学する頃には自分は永住するという自覚も強くなっていました。

「もう日本には帰らないのになんで日本語勉強しなきゃいけないの?」

永住する人なら誰もが一度は抱いた素朴な疑問をこの頃感じ始めたのです。 アメリカでの日常生活では実用性の少ない日本語を勉強するより、現地校と大好きなサッカーを精一杯楽しみたいという気持ちの方が圧倒的に強かったのでしょう。 結果的にあさひの成績は(数学と科学を除き)モチベーションと比例するように落ち始めました。

両親の言葉

中学1年生を終え、僕はあさひに対する不満を明らかにするようになり本気で退学を要望しました。 その時両親が僕に言った言葉は今でも鮮明に覚えてます:

① 「できないよりできる方が良い。 可能性はそれだけ増える。」
② 「あなたがどうあがこうと日本人なのです。 日本人が日本語を勉強するのは当り前です。」

あまりにも単純な理論でしたが、単純が故に否めない事実でした。 以降、僕は嫌々ながらもあさひと現地校の勉強をなんとか両立させ、サッカーやチェロ等の習い事も何とかこなしていきました。

あさひを卒業して

あさひ学園を中学で卒業し、アメリカの高校・大学へと進学しました。 大学ではUC Berkeleyの機会工学部を専攻し、鬱になるくらい勉強はシビアでした。 しかし、幼少時代はあれ程嫌っていたのに大学に入ってからは日本語や漢字の勉強を自主的に継続していました。

「一流の大学を出たとしても自分以外に全米で数万人の卒業生が同時に仕事を探すんだ。 他の人にはない『武器』を持たないと雇ってもらえない!」

当時はバブル崩壊以来最悪と言われる程の就職難であったため誰もが必死でした。 就職できずやむなく進学する者や、パートでとりあえず凌ぐという同期が殆どでした。 しかし、そんな中でも純バイリンガル+技術的知識という組み合わせは大変有利であったのか、僕は幸い面接した日米混合の15企業の中から12社から内示を貰う事ができました。

「できないよりできる方が良い。 可能性はそれだけ増えるから。」十数年信じてきたこの理論はついに実証されたのです。

日本に戻った理由

「なぜ日本で就職したの? トヨタなら北米トヨタでも良かったのでは?」この類の質問は頻繁に聞きます。

単に「日本が楽しそうだった」というのもありますが、これから数十年生きていく中でより多くの国を見て色々な経験をしたかったというのが本心です。

アメリカにも海外に進展している企業は多数あり、むしろ日本より遥かにグローバル化は進んでいて、採用する方も海外に出す人材を揃える雇用制度もしっかりしてます。 しかし、逆に言えば僕以外にも海外へ出る人間は山ほどいるという事になります。 その反面、日本ではグローバル化という分野では発展途上国であり、海外に出せる人材を確保するのに常時必死なのです。 即ち日本の「海外枠」に入れれば高い確率で世界を回れる事が可能になるのです。

僕が入社した当時、日本企業の中でグローバル化の一番の成功例はトヨタだと言われてました。

しかし、そんなトヨタでも企業体制は決して完全にグローバル化したとは言えません。 例えばトヨタ本社の従業員の中から大半はまともに英語の文章が読めなかったりします。 グローバル化を目指す企業としては本社と世界を繋ぐパイプライン、つまり専門知識のあるバイリンガルは貴重な人材なのです。 また、語学力だけでなく、海外生活を経験し、海外で育った人間はどういう考え方をし、どういう扱いが必要か等も重要なノウハウなのです。

これからも日本はグローバル化の促進に力を入れる事でしょう。 この状況を利用して自分の持つ能力をフルに発揮できるのはこの時代に生きている人間の特権だと思います。

振り返って思う事

入社してから四年間、色々な先輩方や上司から「優秀なご両親だね。 良い育て方されたね。」という評価を耳にします。(実際のところは評価できないので何とも言えませんが…(笑))

「両親は間違っていなかった。 あさひは最後まで通い続けてよかった。 サッカーの試合や他の姉妹の送り迎えで束縛される時間、嫌がる子供に勉強をさせる苦労、本人以上にストレスを感じていたであろうにも拘らず最後まで監視し続けたくれた両親には改めて感謝。」

僕の場合は日本語を勉強し続けた結果、ヨーロッパへと道が繋がりました。
果たして皆さんが進まれる道はどこへと向かうのでしょう?

以上

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