メディア紹介
2026/1/1 高等部弁論大会 – JBA News 2026年1月号
あさひ学園事務局
2025年・あさひ学園高等部弁論大会、最優秀賞受賞弁論の発表
去る11月、あさひ学園のサンタモニカ校、トーランス校、オレンジ校高等部で、毎年恒例となる弁論大会が行われた。今年も3校から計66名の高校生が参加し、それぞれの視点や体験を基に堂々としたスピーチを披露し、会場を沸かせた。ここでは、そんな中から最優秀賞に輝いた3名の弁論内容を紹介する。
サンタモニカ校最優秀賞「当たり前が当たり前じゃない」
サンタモニカ校高等部2年・ヒラハラ グレイ 碧耀 さん
「私は、貧乏で節約生活中です」。皆さん、驚きましたか?それとも「恥ずかしくないの?」と思いましたか?「負け犬の遠吠え」とか?私の場合は、この言葉の中に、自分の誇りと学びがいっぱい詰まっているのです。
最新の物がいつも欲しい人もいれば、そんなことに興味のない人もいます。私は後者です。私の一番好きな物はお店にある、半額を示す赤いステッカーです。母と買い物をする時は、必ずお店の後ろの方の、隠れているところに行きます。そこは、割引の品が置いてあるセクションなんです。たった1ドルの赤い野菜の袋。赤いステッカーを貼られ値引きされた商品。もともと私は割引好きとして生まれてきたわけではありません。幼い頃は、値段を心配する必要はありませんでした。毎年のように日本に帰ったり、おもちゃや服などを自由に買い、外食にも旅行にも何度も出かけたりしていました。あまりに小さい時だったのではっきりとは覚えてはいないですが、写真などを見返すとふと思い出します。日本に行った時の沖縄の青い海の写真。ディズニーランドの家族写真。祖母の実家の秋田に行った時には、大おばあちゃんに会えた思い出。
ところが、こうしてなんの危機も感じていなかった私が7歳の頃に突然、経済的に困り家を失うかもしれない出来事に見舞われました。そのため3歳から大好きでやっていたピアノやダンスもやめなければいけませんでした。そのほかにも民謡のお稽古など、その全ての習い事をやめなくてはならず、あさひ学園もやめないといけないかもしれない状況にもありました。この時に私は、当たり前だった事柄は本当は当たり前じゃないんだ、と痛感しました。当たり前に外食していたことも、服を買ってもらっていたことも、いつも出かけていたことも以前は普通で当たり前だと思っていました。でもそれは、実は、すごく裕福で贅沢な生活だったのです。
日本の人口は、1億2380万人です。そこで、皆さんに質問です。日本国民の中では、貧困状態にある人はどれくらいいるでしょうか。答えは、6人に1人です。それから子どもは、7人に1人です。貧困は、食べ物や住む場所だけではなく、「学ぶ機会」や「将来の夢」にも大きな影響を与えます。例えば、年収300万円未満の家庭では、およそ7割の子どもが習い事をしてないという調査もあります。さらに、経済的な理由で夢を諦めないといけないと感じる人は3割近くと言われています。私もそういう似たような経験をしました。生活が一瞬に変わり、将来への不安を感じた時期もありました。コロナ禍でも同じような経験をした人も多いと思います。急に環境が変化し、経済的に困る家庭が増えました。
ですが、救済の方法はあります。アメリカではボランティアや寄付、フードバンクや支援プログラムの情報共有、それから教育格差が生まれないよう学習支援などをすることで、貧困状態にあっている子どもたちの苦しい思いを少しでも減らすことができます。私の地元の図書館では、サポートや誰もが利用できる無料リソースがあります。子ども向けには、工作や料理のクラスなど、無料のクラスが開かれています。さらに、公式サイトには、無料の塾、学習ガイド、そして面接の準備や応募の仕方、アドバイスをしてくれるサイトが紹介されています。こうした取り組みは、経済的な理由で学ぶ機会を失ってしまう子どもたちを支えるだけではなく、私自身のように「もう無理なのかも」と感じた子どもたちに、また希望を与えてくれるサポートだと思います。
私は、自分が体験した貧しさの中で、「支え合う社会」の大切さを学びました。これからの子どもたちが苦しい生活にあわないよう、大人たちの優しさと協力で助け合う社会を作っていきたいです。ただ、お金がないことは、マイナス面ばかりではありません。お金がないからこそ、気付けることもたくさんあります。お店の割引コーナーを探すたびに、私は「選ぶ力」と「感謝する心」を学ぶことができました。貧困という試練は、私に、無駄を無くして、賢く節約しながら生活する力をもたらしました。私にとっての豊かさは、金銭的な量ではなく、気持ちの豊かさです。それは、お金が十分ないことを通して得た強さと感謝によって育まれたものです。私の受けた試練によって、当たり前が当たり前じゃないと学べたことが私の宝物です。ご清聴ありがとうございました。

サンタモニカ校の最優秀賞を受賞した、高等部2年のヒラハラ グレイ 碧耀 さん。

サンタモニカ校の弁論大会出場した生徒の皆さん。
トーランス校最優秀賞「支える人を支える社会」
トーランス校高等部1年・佐久間ここ さん
みなさんは91歳の高齢者が自分の妻や夫を介護をしている姿を想像できますか。私の祖父母は今年で91歳になります。祖母はアルツハイマー型認知症をわずらっていて、祖父が介護をしています。 以前は祖父が掃除、洗濯、食事の用意、祖母の入浴の手伝い、全て1人でしていました。しかし、元気だった祖父も、最近は前のように動けなくなっています。さらに、祖母と常に一緒にいるため、祖母が認知症であることをなかなか受け入れられず、物忘れのひどさに怒ってしまうこともあります。今では、1人で全てできないため、ヘルパーさんや訪問看護師に祖母のお世話の手伝いをしてもらっています。それでも家事の負担は大きく、食事もスーパーのお惣菜を買うことしかできなくなっています。
これを見て、私は、老老介護の現実には限界があると感じました。老老介護とは、65歳以上の高齢者が65歳以上の高齢者を介護することです。2023 年の厚生労働省の調査データによると、老々介護者は、介護者全体の6割以上を占めていて、もはや日本の日常になりつつあります。 介護者は、「介護は家庭内でするもの」という考えに縛られ、追い詰められ、共倒れになってしまうケースもあります。実際に、追い詰められた介護者が親や配偶者と共に、自らの命を断とうと、試みるニュースが後を絶ちません。
私の祖父は今まで人に頼ったことがありません。そんな祖父が、最近は自分ではどうしようもない状況に陥り、電話をくれることがあります。祖母が生きる気力を失い、食事を拒否するからです。私と母は毎日電話をかけ、祖母が少しでも食べられるように、テレビ電話で一緒にご飯を食べたり、「もうすぐ会いに行くから元気でいてね」と約束をしたりします。すると、少しずつ食べられるようになり、祖父は「ここちゃんのお陰で、おばあちゃん元気になったよ」と喜んで感謝をしてくれます。
しかし、私の祖父のように身近な人に頼れない人もたくさんいます。老老介護で共倒れになってしまうニュースを聞くと、周りの人は、「知らなかった」「困っていたら言ってくれればよかったのに」と後から口をそろえて言うのです。 現在日本では3人に1人が高齢者です。介護の問題は、もう他人事として片付けることはできません。だからこそ、一人一人が介護の実態に意識を向ける必要があります。身近な人が介護者に、何かできることはないか、と何気なく話すことでも、介護者は救われるのです。そして、若い人たちがこの介護の現状を知り、声を上げていくことで、社会の制度を変えていくきっかけにもなるのです。
私は、介護は「1人が背負うものではなく、周りの人も一緒に支えるもの」という考えを広めていく必要があると強く思います。一人一人の意識の改革が社会を動かすのです。介護者に手を差し伸べる。それが今の日本に必要な「支える人を支える社会」です。 ご清聴ありがとうございました。

トーランス校の最優秀賞を受賞した、高等部1年の佐久間ここさん。

トーランス校の弁論大会に出場した生徒の皆さん。
オレンジ校最優秀賞「伝えていくということ」
オレンジ校高等部1年・柳舞里佳さん
皆さんは昨日の出来事を覚えていますか?昨日の夜は何を食べましたか?一昨日のことはどうでしょう。1週間前、1カ月前、それでは1年前のことはどうでしょうか。既に思い出せないことの方が多いかもしれません。私たちの記憶には限りがある。それならばどうやって後の世代に大切なことを伝えていけるのでしょうか?2011年3月、鉛色の空がそして鈍色の津波が街中を覆い尽くしました。東日本大震災です。日本の全国民にとてつもない衝撃を与えました。特に東北地方では多くの命と街が失われました。あれから14年余りが経ち、人々は随分と日常を取り戻しているかのように見えます。しかし当時の状況、そして復興へのこれまでの努力は、忘れてはならない大切な歴史だと私は思います。
私はこの夏、家族と一緒に仙台の石巻市でボランティアに参加しました。正直に言うと、最初はあまり乗り気ではありませんでした。それをするのは私でなくてもよいのではないかと思っていました。私が何かを今知ったところで、誰に伝えられるわけでもないと考えていました。しかし、しぶしぶ参加した私が目にしたものは、ボランティアに勤しむ人々によって、震災にあった方々の「生きる場所」が生み出されているという光景でした。かけがえのない人を、大切な住まいを失ってしまった被災者には、生きる気力そのものを失ってしまった人が多くいました。自分の生まれ育った地を災害によって無に帰されてしまい、絶望の淵に立っていた人々に、ボランティアの責任者であり、語り部の矢木さんは、彼らにできることを増やすことで生きる活力を与えようとしていました。被災者自身がボランティア活動をすることで、自分にもできることがある、自分は必要とされている、生きていてもよいのだということを被災者の方々に実感させる機会を作られていました。矢木さんは、「物資による支援やお金による支援ももちろん必要なことです。でも自分の居場所があるということで人間は救われます。」と語っていました。私は、たとえ小さなことでもボランティア活動が、生きる喜びにつながるのだということを身をもって実感しました。
震災は東日本大震災だけではありません。皆さんもご存知のとおり、神戸や熊本でも多くの方が犠牲になりました。その歴史は古く、日本書紀が書かれた頃から地震は「ない」と呼ばれ、人々の身近にあるものでした。風光明媚な地形、豊かに湧出する温泉など、日本は自然豊かな国ですが、災害は予期せず発生し、その破壊力は人間の想像を絶するものです。昨年起きた能登地震は皆さんの記憶に新しいかと思います。1月1日、家族皆が顔をそろえ、新年を祝い合うその時に悲劇は起きました。家族団欒の喜びが、一瞬にして消えてしまったのです。今年、実際に能登の七尾市に行ってきました。マンホールはアスファルトを突き破り、道路は陥没したり、ヒビが入ったりしていました。道の駅のベンチや子どもたちが遊んでいたであろう遊具は無惨にこわされ、多くの家が倒壊していました。私はあまりのショックに、その場に立ちすくんでしまいました。
人間は不幸に見舞われると、それを招いた対象に怒りをぶつけます。しかし、自然災害はそれができません。悲しみも怒りも誰にもぶつけることができないのです。生まれ育った故郷を奪われてもその悲しみをぶつける先がないのです。ところが、街ゆく人々は見知らぬ私にも明るく挨拶をしてくれ、道の駅では皆笑顔で会話をしていました。遠くでは子どもたちのはしゃぐ声、そして祭りの鈴の音が賑やかに鳴り響いていました。街が震災によって壊された中でも、毎年恒例の夏祭りを地域一丸となって盛り上げようと励む姿がありました。私はそこに人間の強さを見ました。そして何もできずに立ち止まっている自分が情けなく感じられました。
私は今回被災地を巡って、あらためて自分の無力さを認識させられました。と同時に心のどこかで他人事だと思っていた自分がいたのも事実です。ですが、そこで生き抜く人々の姿を見て、自分に一体何ができるだろうかと考えるようになりました。今の私にできることは、多くの人に震災とは誰にでも起こり得ることであり、そして人間とは計り知れない強さを持つものだと伝えることだと思うようになりました。それが、被災地に足を踏み入れた私の責任であると今は感じています。私たちのような若者が伝えていかなければ、震災の恐ろしさ、悔しさ、そして命の大切さは後世には届きません。震災復興に尽くした人々の思いも無きものになってしまいます。
私たちにできることには限りがあります。どれだけ言葉を届けようとしても相手には伝わらないこともあると思います。それでも私は私が知っている事実に向き合って、できるだけたくさんの人に伝えていきます。それをエゴだらけの自分勝手な行動だという人もいるかもしれません。それでも誰かの大切な意思を、誰かに大切につないでいく人として私は生きていきたいです。私たちの言葉で歴史を作りましょう!

オレンジ校の最優秀賞を受賞した、高等部1年の柳舞里佳さん。

オレンジ校の弁論大会に出場した生徒の皆さん。




