私はアメリカのロスアンゼルスで生まれ育ち、母親が日本人、父親がアメリカ人のハーフです。両方の言語を聞きながら育ちましたが、幼稚園に入学する時は英語のほうが喋れたと聞いています。 「初等教育はまず日本語から始めよう」と父親の提案で、両親は私を日本語学校に入学させることを決心しました。 大人になってから日本語を勉強しても、読み書き、そして何より日本語を日本人のように話せるようになることはまず無理だと、言う考えから、父は幼稚園から私を全日制の「国際学園」に入学させました。その頃から私の両親は私が大人になって日本の漫才もアメリカのコメディーも難なく理解できる、そこまでの語学力、理解力を持てる子供にしたかったようです。
国際学園には小学校4年生まで通っていましたが、その頃になると英語もほぼしゃべれない状態で、考え方から雰囲気、外見までが完全な日本人でした。小学校4年生までしっかり漢字を勉強しておけば大丈夫と当時の担当の先生から言われたこともあり、これをきっかけに私はアメリカの現地校に転校し、週一回あさひ学園で日本語教育を続けていくことになりました。
あさひ学園
小学校4年生に転校した時期はアメリカの現地校になじめなく、とても苦労しました。アメリカ人でありながら、学校の習慣、授業の進め方、先生や生徒に対して異質な感じがしていましたので、あさひ学園の授業は毎週楽しみにしていました。
しかし、次第にアメリカンスクールに溶け込んでいき、バスケットボールのチームにも入部をし、中学に進学した頃にはあさひ学園に通うことが負担に感じ始めていました。
大好きなバスケの試合にも参加できない、宿題は現地校の生徒とは比較にならないぐらいの量、徐々にあさひ学園の勉強が二の次になっていたように思います。あさひ学園の規則の厳しさにも納得がいかず、中学時代に叱られていたことも昨日のように覚えています。(笑)
「もう辞めよう」と思ったことも幾度もありました。「将来の為になるよ」「二ヶ国話せることはすごいことなのだよ」と励まそうと、一生懸命に話してくれた先生や親の言葉も覚えていますが、それも今になってやっと理解してきたものです。その時期はとりあえず、「今を楽しむ」ことに夢中で将来の話をされてもさっぱりでした。しかし、当時の中学の先生が「始めたことは最後まで果たす」と授業中に熱く語っていました。これまでに毎週頑張って通ってきた、あさひ学園も中途半端に退学したら満足感もないし、「辞める、Give up」だけはしたくありませんでした。 スポーツと同様に負けているから辞めるのではなく、辛いときにでもあきらめないで最後までやってのける事での達成感・満足感を感じられると思います。その後も、大好きなバスケの試合があった日々もあさひ学園には通いました。中学校の卒業式が行われた日、私は卒業生代表で祝辞を読みました。この時に「やったぞ!」と心の高ぶりを感じながら卒業することができたのは言うまでもありません。
UC サンタバーバラ大学
高校卒業後、UC サンタバーバラ大学(UCSB)でビジネス・経済・会計を専攻しました。UCサンタバーバラは海と自然に囲まれている素晴らしい大学です。自由な雰囲気と気楽な環境の中で大学生活を送ることができました。大学三年生は東京の一橋大学で一年間交換留学をしました。日本の大学生活を体験できたこと、また外国での一人暮らしは一生忘れられない思い出です。新宿行きの満員電車、大学の文化祭、春の花見など楽しい思い出でいっぱいです。一橋大学には、必死に日本語の勉強に取り組んでいる留学生達でいっぱいでした。大部分の学生達は高校、大学から日本語を習い始めため、毎日4-5時間は勉強していました。このような留学生を見て初めて自分が2言語を併用できることに感謝をし、また本当に「幸運」だなと思いました。周りが必死になって苦労している中、私は中学卒業まであさひ学園に通い通したことで楽しく、スムーズに日本の大学生活を満喫することができました。
国際交流員として
私はUCサンタバーバラ大学を卒業し、今年の8月からJETプログラムを通して石川県・内灘町の役所で国際交流員を担当することになりました。JETは主に外国人の先生を日本の小・中・高学校に英語指導で派遣をするプログラムですが、先生の他、英語と日本語がバイリンガルの人は県、または市町村の国際交流員として採用されます。一般的に国際交流員は翻訳、通訳、学校訪問、イベントの企画など幅広い責任のある仕事を任せられます。
私の場合、人口3万人以下の内灘町を担当しているため学校訪問や国際交流を深めるイベント企画が大部分です。学校訪問は小・中学校が多く、子供たちに国際理解を指導する依頼があります。外国人に対する間違った固定概念を持たないよう、生徒たちに教えていくことを求められています。
国際交流を深めるイベントは毎月1回開いています。現在では国際サロン、文化・英会話教室、ハロウィーン・クリスマスパーティー、インターナシュナル・スクールなどと様々な活動に取り組んできています。 住民が外国人と触れ合う機会を作り上げ、お互いの存在を認識させていくことを目標としています。また、子供たちには内灘町以外の世界があることを理解してもらい、外国・異文化に興味を持ってもらうことを重視しています。
私は石川県に赴任して以来、あさひ学園の先生方や、両親に無理やりにでも私に日本語を続けるように熱心に話してくれた意味がやっと分かってきたように思います。
「日本語が本当に上手ですね、なんで?」と今まで不思議な顔で数え切れないほど聞かれました。今までは、二ヶ国語を喋れて当然だと思っていました。しかし、実際に多くの人々は外国語を勉強するために多大な時間とお金をかけています。
それでも、外国語が話せない人が多いのが現状です。
現在、多くの人たちから頼られている私ですが、自分自身が今これほど特別な存在として扱われているのも、あさひ学園の先生方そして私の両親が根気よく私に日本語が話せる、読める、書けることがいかに大切なことなのかを、教えてくれたおかげだと思っています。
本当に感謝しています。
最後に
「中学時代にもっと勉強しとけばよかったなぁ〜」っと、今になって後悔の気持ちがあることは否定できません。そこで、過去に戻って中学時代で本当に朝から晩まで勉強するかと言われたらおそらくしないでしょう(笑)。しかし、日本語教育を続けてきたおかげで、両国の世界が見えるようになりました。特にハーフである私にとってはアメリカ人と日本人を両方分かり合える特別な道具を預かったような気がします。「継続は力なり」がんばって続ける事によって将来必ず、続けていて良かったと思える日が来ます。
「あきらめない、やめない」という気持ちで頑張っていく。その気持ちが大事だと私は信じています。
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