卒業生・同窓生便り
||| BACK
あさひ学園での経験:二つの世界のベストを学ぶ - あさひ学園への便り
古屋 陽子

あさひ学園
当時の多くのあさひ学園の生徒と違って、私はアメリカ生まれでアメリカ育ちでした。日本には何回も訪問しましたが住んだことはありません。自分自身は「英語より先に日本語をしゃべることを教わった」と聞いていましたが、あさひ学園の1年生に入るころには英語の方が上手でした。したがってあさひ学園は全く新奇で、異質な経験であり、生徒、先生、そして文化などのすべてが自分にとっては未知のものでした。

最初は、日本に行ったときと同じように、自分と似通った人たちに囲まれているにもかかわらず外国人であるような気がしました。着ているものから、笑い方から、そして食べ方も(言うまでもなく言葉のしゃべり方も)すべてにおいて自分は他の人と違っているという「マーク」をつけられていました。しかし次第にあさひ学園で友人を作り、自分の道を見つけることが出来ました。それからはあさひ学園は自分にとっては新しい世界への門口となり、日本にいる祖父母への手紙を書くことが出来るようになったり、またある夏には日本の小学校で過ごしたりして、次第に日本へ行ったときにも以前のように外国人であると感じることはなくなりました。

同時にアメリカと日本の教育システムの違いを知るようになります。アメリカの学校の先生はクラスで自分が沈黙している(静かである)ことを批判しましたが、日本の先生は褒めてくれました。最初はすこし混乱しましたが、結果としては教育や文化に関してユニークな見方をすることができるようになりました。すなわち異なったアプローチ(やり方)には良い点もあり悪い点もある・・・現状に留まっていることを当然であると思ってはいけないということを教えてくれたのです。

ハーバード大学
高校を卒業したあとハーバード大学に進学し英語を専攻しました。そこで私と同じようなアメリカ生まれの日本人、しかし三世、四世の学生に出会いました。驚いたことに、これら学生の多くは日本語をほんの少し話せるか、あるいは全く話すことが出来ず、ハーバード大学の初等日本語クラスを取っていました。またそのうちの何人かは土曜日の日本語学校に行っていましたが、これらの学校はあさひ学園とは全く異なり、あまり教育的ではなかったようです。このとき初めて自分の両親が無理やりに私をあさひ学園に行かせた意味が理解できたのです。もしそうして呉れなかったら、日本語や日本の文化を全く知らずに安易に育っていたことでしょう。その頃までに、日本人の子孫であれば、日本語を話すことは当然であると本当に考えるようになりました。

ペンシルバニア大学医学部
ハーバード大学を卒業したあとペンシルバニア大学の医学部に進学しました。そこで日本の病院での研修を受けることができる野口英世財団の奨学金に応募し、認められました。そのとき初めて日本の医学教育を目の当たりに経験することになりました。この奨学金を受けた殆どの学生は日本語を理解出来なかったので、本研修期間中は単なる「オブザーバー」として見ているだけでした。それに引き換え、私は日本語を理解できましたので、患者の世話をしたり、会議の場で意見を言うことが出来ました。また現場の日本の医者にアメリカと日本の医学教育の違いに関する講演も頼まれ、その際に日本語で講演が出来たことを大変な誇りに感じました。

コロンビア大学、感染症部門
 私は現在、ニューヨークに住み、コロンビア大学の感染症部門、クリニック医療科の助教授(Assistant Professor)です。患者の人たちに対してはスペイン語と英語を使うことが多いのですが、時には日本語をしゃべる患者を扱うこともあります。また日本語の患者をもっている他の医者から通訳を依頼されることもあります。いまでも日本で研修を受けたときに知り合った医者とは交流を保っていますが、そのうち院内感染や抗生物質耐性などについての話をする機会ができることでしょう。日本の医療では感染症はいまだに特殊な分野であり、日本の医者は往々にして抗生物質を多用し、その結果として抗生物質の耐性を生み出しています。私はそのような状況を防ぐアドバイスを頼まれることが多いのですが、将来その専門知識や経験を日本の医者とお互いに分かち合うことが出来ればと考えています。

振り返って・・・
 アメリカに住んでいて何故、日本語や、日本の文化や、歴史を勉強しなければならないのかと時々、疑問に思うことがあります。日本に住むことはないことが分かっているのであれば、どうしてそんな無駄な時間やエネルギーを使う必要があるのでしょうか?昔を振り返ってみると、自分の友達は寝ていたり、遊んでいたり、テレビを見ていたりしている全ての土曜日を無駄にし、余分な宿題をやることは大変辛いことでした。でも土曜日を諦めたその見返りが、本当にお金では買うことの出来ない貴重なものであることが最近になって徐々にわかってきました。数え切れない人が、私が幾つかの言葉を流暢にしゃべれて、二つの文化のあいだに生まれたことを羨ましいと言ってくれています。ときにはジャパニーズアメリカンでなければ良かったのに、そしてただ単に日本人、あるいはアメリカ人のどちらかであれば良かった思うときもありました。でも今ではこの二重性が大切であると思うようになりました。アメリカだけでは得ることのできなかった一面を、あさひ学園は私の中に育ててくれました。今では二つの世界のベストなところを得られたことに深く感謝をしています。

ページTOPに戻る▲
| ホーム | JBA | リンク集 |