卒業生・同窓生便り
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言語枠を超えて - あさひ学園への便り
大須賀 綾

現在私は東京に在住、リーマン・ブラザーズというアメリカの証券会社に勤めています。職種は営業と至ってストレートなのですが、東京支社で働く私の職務はニューヨーク本社で働く同僚とは少し異なります。ブローカーとして金融・経済・マーケットの知識を操る上に、顧客との折衝には高い日本語力が要求されるからです。日本は高い経済力を誇る反面、日本人の投資家は少なく、外国からの投資を受け入れて経済を活性化させているのが実状です。ここ十数年、飛躍を図る外国の証券会社は日本に進出し、高い業績を挙げてきました。しかしそれがかえって日本人の心に外国資本に対しての不信感を募らせる結果となり、最近では外資系企業も日本語、英語の両方を完璧に操れる人材を探しています。大学でコンピューター・サイエンスを専攻し、金融には全く関わりのなかった私も、このニーズを満たす人材として急遽活用されることになり、日本に来ました。

私の顧客は外国ヘッジ・ファンドのお客様から日本の信託銀行のコンサバティブなお客様まで広範囲です。アメリカで育った日系人として外国人のお客様のノリ、笑いのツボ、対応の仕方はそれなりに掴んでいるものの、日本人のお客様の対応が礼を失することなくできるのか、初めはとても不安でした。電話や、直接お会いしての接客も多い中、日本の文化や常識、言葉の言い回しやニュアンスをある程度子供の頃から備えてこられたことに大変深く感謝しています。営業は人と人とのコミュニケーション。ただ言語をマスターするだけではなく、相手の考え方やその文化的背景を学ぶ事も大切だと最近は痛感しています。

又、ニュースを重視するこの業界では日米両言語での素早い情報収集が必須です。如何に速やかに情報の提供ができるかによってビジネスの成果は大きく左右されます。ここでもあさひでの読み書きの勉強が活かされ、あさひ学園を続けてきて本当に良かったと感じています。

私は四歳の時に父の転勤で渡米してきました。両親は私たちに日本語を忘れて欲しくなかったのか、すぐに日本人学校(当時はニューヨーク在住)に入学させられました。その後ロサンゼルスに引越し、あさひ学園に入学したのですが、以前の日本人学校に比べ、あさひの教育レベルの高さに感心したのを覚えています。幼児部から高校卒業までの13年間、数え切れない程の思い出がありました。あさひと聞いて皆さんは多分、金曜日の晩に夜更かししてやる学習ノートや漢字ドリルのこと、友達の誕生日パーティーや土曜日のスポーツ朝練習や試合に出席できなかったことなどを思い出すことと思います。14年間競泳をやってきた私も例外ではなく、毎週両親に愚痴っていたのを覚えています。そんな中、あさひを続けようという意志を強く保ってこられたのも、日本語と英語を混ぜて話せる気の合う友人たち、国際的なテーマや出来事に視野を広げてくれた先生方、そして何より支えになってくれた家族のおかげでした。

小学校の頃は両親共に兄妹と私を学校まで迎えに来てくれたので、その足でミツワ(当時ヤオハン)に日本食の買い物に行ったり、家族と夕食を食べに行くことも頻繁にありました。両親は日本の文化を知ることをとても重視していました。「土曜日は家族デー」というのが家庭の決まりで、平日は全く日本と関わりを持っていなかった私はいつも土曜日を楽しみにしていたのが印象に残っています。最近になって母と話したことなのですが、何故あさひをやめさせてくれなかったのか、何故それ程までも日本語の勉強に対して厳しかったのか。母の答えは「母国語は選ぶ必要がないから」、そして「後悔先に立たず」の二点でした。「一生アメリカに暮らすから日本語を覚える必要がない」と言って日本語を捨てた子供が、年をとってから慌てて日本語を学ぼうとしても決して平易な道のりではないはずです。折角日本人として日本のルーツを背負って生まれたのだから、何はともあれ先ず日本語を若いうちに身につけてしまえば、どんな人生を選んでもいつか役に立つだろう、その分チャンスが広がるだろう、そう考えて両親は私達兄妹の学業に心血を注ぎました。

あさひ学園で習ったことは必ずどこかで活かされるはずです。アメリカ人であるという自覚、英語での発言力はアメリカに住んでいる以上、友達・環境から嫌でも覚えられます。でもアメリカ人であると同時に自分の中に共存している「日本人」を育んでくれた親の努力に絶えず感謝しています。常に両国語で本を読み、文章を書き、バイリンガルであることの大切さを自覚し、是非両立させて下さい。それが自分に受け継がれてきたルーツを探ることにも繋がります。皆さんも、国際的な場面でこのツールを是非とも活かせることを祈っています。

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