あさひ学園 - Asahi Gakuen文科省・外務省支援
ロサンゼルス補習授業校

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卒業生・同窓生便り

第十八回 今井里美 さん

卒業生・同窓生便りの第18回は、ネットワークコンテンツ企画・製作会社、“オレンジリーフ”を作られた今井里美さんからです。あさひ学園には、パサデナ校の小学4年から中学卒業まで通われました。あさひを日本人とのコミュニケーションの場と位置づけ、積極的に友達、先生、両親と日本語で話すことを心がけられました。帰国後、国際基督教大学に入学しましたが、10年振りの日本にはカルチュラルショックを受けたようです。しかし、現実を前向きに受け止めることを決め、日本の文化や言語をより深く勉強すべく、日本美術を専攻しました。大学卒業後、コンピューター出版会社アスキーに入られ、ネットワークコンテンツの企画や製作に関与しました。セガやドワンゴでの仕事の経験が2年前に友人とのオレンジリーフの会社設立に結びつきました。今年後半から、ご主人がおられるロスに移られ、日米でのビジネス展開を計画されています。在校生の皆さんには、日米の言語や文化を学べる機会を生かし、多くの人たちとのコミュニケーションスキルを養い、交流を楽しまれることを望んでいます。

下手でもいい! 日本語で話そう

はじめまして。 あさひ学園には、小学校4年生から中学3年生まで通いました。 私はあさひ学園ではあまり成績が良いというわけではありませんでした。 「卒業生・同窓生便り」掲載のお話をいただいたとき、はたして私が書いて良いのか不安でしたが、せっかく在校生のみなさんとの接点ができる機会ですので、私の経験を少しみなさんとシェアさせていただければと思います。

あさひ学園は日本語の勉強をする場ではなく、日本人とのコミュニケーションをする場

私が通っていたころのあさひ学園はほとんどの人が3年か5年で帰国。 10年アメリカに住んでいた私は、あさひ学園の成績は良いというものではありませんでした。 得意だった数学と理科の成績はまぁまぁ。 でも、国語と社会はビリから数えたほうがよいくらいでした。 そんな私でも今は原稿を書いたりする仕事もしばしば行っております。 また、あさひ学園は母国語である日本語で心から何でも話せる友達がいる憩いの場でもありました。 好きな男の子の話や現地校の話、学校が終わってから毎日2時間長電話をして親に怒られることは日常茶飯事でした。 今でもそのころの友達とは仲が良く、よくお話をしたり遊んだりしています。 そうです、大事なのは日本語でコミュニケーションをする能力、自分の言いたいことを言ったり、表現する能力を養うことです。 あさひ学園での勉強は確かにとても大変です。 日本の子供が1週間かけて学ぶものを1日で、しかも短時間で学ばなければいけないのですから。 落ちこぼれてしまうのは逆に当たり前……と言ってもよいのかもしれません。 でも、落ちこぼれになったとしてもいいと私は思います。 成績よりもなによりも、友達、先生、そして自分の親と日本語で話すこと、自己を表現できるようになることが大事だと思います。

自分の文化を知らずして、人の文化を語るべからず

帰国後、私は国際基督教大学教養学部人文化学科に入学しました。 国際基督教大学では中学校から仲がよかった友達とも一緒でしたので、さみしい思いはしませんでした。 また、大学にはスペシャルジャパニーズという帰国子女用のコースがあり、私は最も初歩のレベル1から日本語を学び直しました。 10年ぶりに帰国した日本での生活は思っていたよりもカルチャーショックが大きく、アパートを借りましたが、アメリカの家にあったウォーキングクローゼットよりも小さい部屋にショックを受け、一度アメリカに戻ったことがあります。 しかし、アメリカに戻ったからといって、昔の友もみんな大学に進学し、高校時代はもう戻ってこないんだ……と知り、現実を受け止めて前進する力となりました。 それからは、せっかく日本に帰ってきたのだから、日本の文化、日本語をもっとマスターしようと踏ん切りがつきました。 その後、4年生のとき、日本美術を専攻し、卒業しました。 現在ヨーロッパやアメリカでは和ブーム。 アメリカに住む友達に日本のデザインや美術についてお話をすることもしばしばあります。 日本のことを海外の方に伝えられることはとても喜ばしいことです。 むしろ、それが私たち帰国子女の一つの使命ではないかと思っています。

英語をスキルだと思わず、コミュニケーションのツールだと思うこと

大学を卒業して入った会社は株式会社アスキーというコンピューター出版会社でした。 なぜ日本美術を専攻してコンピューターか? 単純に日本美術では仕事がなかったということもありますが、何よりもアメリカに住んでいる友達とメールのやり取りがしたかった、というのが正直な理由です。 その後、株式会社セガへ出向し、ドリームキャストというゲーム機のネットワークコンテンツの企画や制作に携わりました。 このとき、とても多くのクリエイターやプロデューサーの方々とお仕事をしたことが、今も私の大きな財産となっています。 2001年からは株式会社ドワンゴにて、着メロや携帯アプリのゲーム等、携帯電話を主流としたエンターテイメントコンテンツのディレクション、プロジェクトマネージメントの仕事につきました。 個性豊かなプログラマーやデザイナー、SEなどをまとめる仕事は大変でしたが、より多くの人とコミュニケーションをして、一緒にコンテンツを作り上げて行く作業は本当に楽しかったです。 また、日本全国の携帯ユーザーを対象にサービスを考えるのはチャレンジングであり、且つコミュニケーション好きの私にとっては自分にとても合った仕事でした。 そして、今、前の職場で一緒だった仲間と株式会社オレンジリーフを設立(http://www.orangeleaf.jp)し、つい先日2周年を迎えることができました。 ネットワークを使ったエンターテイメントやコミュニケーションを必要とするコンテンツの企画や運営、開発等を行っています。 現在行っている主な仕事は、バーチャルワールド「セカンドライフ」内での企画・運営、大手音楽会社のSNS内企画・運営、Flashのゲーム企画・ディレクションをすることもしばしばあります。 英語を使う機会はほとんどありません。 自分がつくったコンテンツの発表を海外で行う際や海外ユーザーとのコミュニケーションが必要な時くらいしか英語は使いません。 でも、英語専攻ではないのでそれでいいのです。 自分がやってきたことを人に伝えたい時、お客さんとのコミュニケーションで必要な時に英語で伝えることができれば。

変化を自分の物にするポジティブシンキング

実は先日アメリカに住む(永住)日本人男性と結婚をしました。 今年半ばから再度ロサンゼルスでの生活をスタートさせます。 自分の会社ですので、会社は辞めず、逆に日本とアメリカ、24時間営業ができる企業を目指し、アメリカで発展させて行く予定です。 今の仕事環境から離れてしまう不安から、精神的に暗くなった時期もありましたが、今は新たなチャレンジとして、わくわくしています。

後輩へのメッセージ

アメリカと日本の文化、英語と日本語両方を習得できる環境はなかなかありません。 今は確かに大変なこともあるかと思いますが、この状況を気楽に楽しめれば、ギブアップすることなく続けて行けるのではないかと思っております。 たくさんの人と接し、コミュニケーションスキルを養い、いろんな人との交流を楽しんでもらえればと思います。 久しぶりにあさひ学園に通っているときのことを思い出して、とても懐かしくなりました。 今度ロサンゼルスに行った際は、学校に立ち寄ってみたいと思います。 子供のころよく学び、よく遊んだ思い出の学校に戻ることができるって素敵なことですよね! みんさんにも将来そう思える日が来てくれることを願っています。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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